下村さんが救われたのは、1991年に起きた信楽高原鉄道脱線事故の遺族との出会いだった。
「あの出会いがなければ、今の私たちの心の支えはなかったし、(安全対策をめぐって国などへ働きかける機会にも恵まれず)ショックを受け続けていたと思う。これから、ほかの事故で犠牲になられた方の遺族とともに同じ仲間として、『ひとりじゃないんだ』と訴え続けたい」と話した。
下村さんは21日、事故を知らない世代とされる明石市の若手職員へ向け、講師として事故現場の大蔵海岸で安全への思いを語る。
事故は2001年7月21日、午後8時45分~50分ごろに発生した。明石市・大蔵海岸で開かれた「市民夏まつり・花火大会」の会場とJR朝霧駅とを結ぶ歩道橋に集中した見物客が転倒、「群集雪崩(ぐんしゅうなだれ)」という現象が起き、11人が犠牲となった。