赤い長方形に白色で十字とハートマークが描かれた「ヘルプマーク」。義足の使用や重篤な内部疾患など、外見からはわかりにくい状況を抱え、周りの援助や配慮を必要としている人が、助けを求めていることを知らせるためのものだ。2012年に東京都が作成してから10年余りが経ち、全国に広まりつつある。その一方で、浸透しているとは言い切れない現状も浮かび上がっている。
そこでこのほど、ラジオ番組で「ヘルプマークの今とこれから」を考察。当事者や支援者や研究者の声とともに全3回シリーズで届ける。中編は「ヘルプマークを持つ人を支援する人、ヘルプマークを使わない人」。
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【ヘルプマークを持つ人を支援する立場から】
◆社会の理解が進むのが先 ~大切なのは、ちょっとした配慮~
「発達障害者支援センター」は、身近な相談場所として各都道府県や指定都市に設置されているが、時代とともに相談内容が変わってきているという。「ひょうご発達障害者支援センター クローバー」(兵庫県高砂市)の和田康宏センター長は、自身が関わり始めた2005年を振り返ってこう語った。
「18年前は、自閉症について多少の認知はあったが、『発達障害? 何ですか?』と言われる時代だった。それから10年以上が経って、知的障害を伴わない自閉症、もしくはAD/HDといった障害がある本人、もしくは周りの人からの相談が増えた。圧倒的に大人の相談が増えている」(和田さん)
和田さんによると、学校で“特別支援”と呼ばれる教育を受けていない人、一般の高校や大学、大学院を出て勤めたけれどもうまくいかず、対人などの面でのトラブルやミスなどを考えた時、発達障害の可能性に行きついて相談に訪れるケースが増加したのだという。中には、「発達障害について、親世代は受け入れて理解できるが、祖父祖母世代は受け入れず、『成長過程だから見守っていけばいい』」という考えの人もいるそう。
ヘルプマークを持つ、持たないは当事者に委ねられている。持っている人、持っていない人、持っているけど見せない人、今は持ちたくない人……見た目ではわからない障害を抱えているからこそ、さまざまな思いが巡る。
和田さんは、「(当事者は)職場や属している場所では理解してほしいが、日常で世間一般の皆さんに知ってもらいたいという気にはなっていない気がする」とした上で、当事者の思いに社会が追い付いていないと分析する。
「障害を受け入れることは(当事者にとって)大きなテーマ。受け入れられていないとマークはつけない。発達障害では(ヘルプマークを持つことに)メリットはあるが、つけることに抵抗を持つ人が多いのではないか。社会の理解が進むのが先。大切なのは大きな支援ではなく、ちょっとした配慮」(和田さん)
◆判断材料としてメリット・デメリットの両方を示す
ヘルプマークをつけるのかは個人の判断だけに、持つかどうか迷う人も多いという。障害者や高齢者などと健常者の地域のつどい場「VIVAはんにし」(兵庫県西宮市)の世話人・アミーゴ☆田中さんは、このように話す。
「ヘルプマークをつけることによって、『私、障害者です』と振りかざして歩いている、という考え方もあることを伝えます。その反面、困っている時に『こうしてもらいたい』(と伝わりやすい)とか、何かあったとき助けてもらえるかもしれないとかを考えた上で、あなたはどうしますか、と(も伝えて)自分で決めてもらう。そのための支援が、何より大切です」。
一方で、「誰もが、いつ持たないといけなくなるかわからない現実がある」ことを踏まえ、「いろんな人が生きていることを本当の意味で理解できるようになると、障害者差別がなくなり、バリアフリーな世の中になるのではないか」と付け加えた。
【ヘルプマークを持ってはいるけれど、使ったことはない人】
「バリアフリー」。この言葉を大切にしているのが、義足のランナー・松本功さん。9歳の時に、病気がもとで右足の膝から下を切断。以来55年間義足で生活している。
ヘルプマークはかなり前から持っているが「元気なので」使ったことはない。大阪マラソンをはじめ、日本各地の市民マラソン、さらにはハワイでのホノルルマラソンにも参加している。また、各地で子どもたちを対象に「障害者と呼ばれる人がいるんだよ。障害もひとつの個性なんだよ」と語り掛ける“心のバリアフリー授業”を行っている。
松本さんが義足をつけ始めた頃(55年前)は、「障害者はできるだけおとなしく、家の中にいなさい」と言われる時代だったという。松本さんは「日本は障害を隠す文化だった。今でこそ障害者自身も外に出るようになったけど。欧米は昔からそんな感じだった」と話す。
松本さん曰く、欧米は「障害を見せるみたいな感じで、理解もあった。周りの健常者も、障害者がいたら声をかけて手助けして……それが自然。海外では、いろんな人種がいて当たり前、いろんな障害の人がいて当たり前という感じなんでしょうね」と、少し悔しさをにじませながら語った。
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番組ナビゲーターの大西由梨は、「学生時代、忘れ物や落とし物をしょっちゅうする友達がいて、内心イライラしていたことを思い出した。ちょっとした言葉をかけられていたら……」と振り返り、「取材を通して発達障害の複雑さがわかった。それまでは発達障害という概念がなかった」と吐露した。
現代の日本では、障害を持ちつつ、社会に出て活躍の場を広げている人が多く存在する。だが、まだまだ課題も多いのが現実だ。ヘルプマークはどこへ向かえばいいのか。
次の後編では、「ヘルプマークのこれから」について考える。