“マジックペン”と聞いて思い浮かべるのは油性のマーカーペンという人がほとんどではないでしょうか。多数のメーカーから様々な商品名で油性ペンが販売されているにも関わらず、なぜマジックと総称されるのでしょうか。
その謎を解明するために油性マーカーペン「マジックインキ」を販売する寺西化学工業株式会社の今井さんに話を聞きました。
油性ペンを”マジック”と呼ぶようになったのは、寺西化学工業が日本で初めて油性マーカーペンを“マジックインキ”という商品名で販売したことがきかっけです。マジックインキという商品の名前で日本中に広がった事から、「マジック=油性マーカーペン」という認識が日本中に浸透していきました。
「1951年、日本の戦後復興のためアメリカの産業界を視察する『アメリカ産業視察団』として現地に訪れた当時内田洋行の社長であった内田憲民氏が持ち帰った油性マーカーをもとに、弊社の初代社長・寺西長一が日本で油性マーカーの研究開発をしたい旨を申し出て、開発に取り組みました。アメリカから持ってきた油性ペンは容器もキャップも壊れてしまっていて、さらに中のインクも渇いてしまっていたためどういった仕組みなのかも分からない状態でした。ですが約2年という歳月をかけ、マジックインキの開発に成功しました」(今井さん)
なぜ商品に“マジック”という名前を付けたのでしょうか。
「それまで紙にしか文字が書けなかったのに、金属・ガラスや出回り始めたプラスチックなど様々なものに書け、さらにこすっても消えないという“不思議なペン”という事から『マジックインキ』という商品名になりました。マジックインキの容器には『なぜ?』『不思議!』という意味を込めて、“?(クエスチョンマーク)”が添えられています」(今井さん)
マジックインキが発売されたのは1953年。当時、何かを書く時に使う道具は鉛筆・万年筆・墨汁を含ませた筆などであり、いずれも「水に弱い」「紙にしか書かない」という感覚が当たり前でした。しかし、油性ペンは「水に強い」かつ「紙以外にも書く事ができる」という点で大変“不思議”な道具だったのです。
発売当初、売上は良くなかったと今井さんは言います。ですが、昭和30年代に入りテレビの選挙速報でボードにマジックインキで書いた様子が放送されたり、それまで梱包に使われていた木箱に変わりダンボールが登場し、いわゆる「梱包革命」が起きたことで、マジックインキが使用される機会が徐々に増えていきました。さらに「水に強い」という特性から八百屋や魚屋などさまざまな業界で重宝され、やがて日本中で使用されるようになり“マジック=油性マーカーペン”という認識が広がっていきました。
マジックインキが一番売れていた時期は高度経済成長期真っただ中。人も物もあふれかえっていた1970年代~80年代だったそうです。