子どものころから難病の筋ジストロフィーと闘い、2年前に45歳で亡くなった蔭山武史さん(兵庫県宝塚市出身)の自叙伝的小説「難病飛行」が映画化され、大阪と宝塚のミニシアターで上映されています。
蔭山さんは5歳で筋肉が徐々に衰えていく難病・デュシェンヌ型の筋ジストロフィーと診断され、29歳で気管切開したため声を失い、24時間人工呼吸器をつけて、車いすでの生活を余儀なくされます。
しかしバイタリティーは旺盛で、自ら自伝小説を書き、数多くの作詞も手掛け、この難病をもっと世に理解してもらおうと毎年大きなイベントも企画開催していたのです。
そんな蔭山さんから6年前のある日、私・羽川英樹に突然メールが届きました。その内容は「面識はなく不躾なのですが、あなたのラジオもよく聴いています。今年の筋ジストロフィーイベントの司会をぜひお願いできないでしょうか」いうものでした。丁寧でしっかりと熱い思いをしたためた長文は、わずかに動くアゴでマウスを操作する特別仕様のパソコンから送られてきたものだったのです。
私は主旨に賛同して司会をお受けし、何度かメールで打ち合わせをしたのち、2017年5月、会場の三田市総合福祉センターで初めて対面しました。
声は出せずとも満面の笑みを浮かべる蔭山さんは、アイコンタクトで指示を出しながら、すべての進行を任せてくれました。
イベントはこの難病の各分野の専門家によるシンポジウムから始まって音楽ライブへと進み、会場はとても温かい雰囲気に包まれてフィナーレを迎えたことを覚えています。
蔭山さんの一番の元気の素は映画鑑賞。多いときには年間100本は観ていたといいます。自伝小説「難病飛行」を、こんどは面識のない映画監督の八十川勝氏(兵庫県明石市出身)にメールを送り、映画製作を依頼したのです。
映画『難病飛行』は2021年8月にクランクインしましたが、残念ながら蔭山さんはその直前に亡くなってしまいます。
低学年までは公立の小学校に通っていましたが、大縄跳びも飛べず、よく転んでばかりいたので、いじめの対象になっていました。そこで10歳のとき、本人に病名も伝え、三田市の病院に入院しながら、近くの県立養護学校に通う生活が始まります。
思春期を迎えた養護学校では、同じような病いを持つ友人たちと自動操縦のカーレースに夢中になったり、淡い恋心に葛藤したり、また若くしてなくなっていく仲間もいたりと悲喜こもごもの生活を送ります。
映画は逆境を受け入れながらも懸命に生きる、青春期の友情・勇気・希望を描いた感動作品に仕上がりました。
映画のキャストは八十川監督率いる「垂水映画劇団」や一般公募のみなさん。神戸をはじめ兵庫県内各地でロケが行われました。この映画から「難病や障がいのある人への接し方を理解してほしい」と訴えます。