レンズを通して「生きていること」を表現する 牛腸茂雄 写真展 市立伊丹ミュージアムで | ラジトピ ラジオ関西トピックス

レンズを通して「生きていること」を表現する 牛腸茂雄 写真展 市立伊丹ミュージアムで

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 レンズを通して「生きていること」を表現し、「自己と世界の関わり」を探求し続けた写真家・牛腸茂雄(ごちょう・しげお)の回顧展が、市立伊丹ミュージアムで開催されている。2023年12月24日(日)まで。

『日々』1971年発行 (c) Hiroichi Gocho
『日々』1971年発行 (c) Hiroichi Gocho

 新潟県に生まれた牛腸茂雄(1946‐1983)は、3歳で胸椎カリエスを患い、長期間にわたって下半身をギプスで固定される生活を余儀なくされたことから成長が止まり、生涯、ハンディキャップとともに生きていくことになった。高校卒業後にデザイナーを目指して進学した桑沢デザイン研究所で、写真家・大辻清司と出会う。大辻は「もしこれを育てないで放って置くならば、教師の犯罪である、とさえ思った」と、牛腸の才能を見出し説得。牛腸は写真の道を歩むこととなった。

 会場に並ぶのは、生前に制作された写真集に収録された作品と、牛腸が家族にあてて書いた手紙などの関連資料など約200点。「写真だけではなく、手紙やノートなどの関連資料も読んでほしい。牛腸茂雄の人となりがわかり、写真の見え方も違ってくるはず」と、市立伊丹ミュージアムの岡本梓学芸員は話す。

展示風景
展示風景

 1977年の写真集『SELF AND OTHERS』の作品は、何気ない日常で出会った子どもたちや家族、友人らが、こちらを見つめている。「写真を撮られる側は、こんな風に撮ってもらいたい、と意識してしまうが、牛腸が写真集に採用したものは、どちらかと言うと身構えていない、その人の自然体が写されたもの。被写体になった人にとっては意外で、少し嫌かもしれない。でもそれこそが牛腸茂雄が見ている世界。その人のポートレートと言うより、この人を見ている自分、あるいはこの世界にいる人の像と感じて撮っているのではないか」と岡本学芸員は分析する。

『SELF AND OTHERS』1977年発行 (c) Hiroichi Gocho
『SELF AND OTHERS』1977年発行 (c) Hiroichi Gocho

 また、1981年の写真集『見慣れた街の中で』の作品は、少し高めの位置に展示されている。少し見上げるような感じは、まさに「牛腸の視線」。彼にとっての「見慣れた街」だ。

『見慣れた街の中で』1981年発行 (c) Hiroichi Gocho
『見慣れた街の中で』1981年発行 (c) Hiroichi Gocho

 ハンディキャップを抱え、人から「見られる」ことも多かった。また20歳まで生きられないとも言われた。家族、中でも姉に宛てた手紙の中で、「大型の機材が出てきたが、自分には難しいから小型のカメラを使い続ける」、「写真は続けるけどグラフィックなど他で稼いで、1か月の半分は自分の時間にしたい」など揺れる心の内を打ち明けているが、結局は自分には写真しかないと写真に戻る。「その姿勢、思い、相当なものがありながら続けていたのではないか」と岡本学芸員。「ハンディキャップばかりを取り上げるべきではないが、その背景によって牛腸の人間性が形成され、写真が生まれた。ハンディキャップも牛腸独自の作品につながるものだと、ポジティブにとらえたらいいのではないか」。 

 36年7か月という中に凝縮された、牛腸茂雄の人生物語がここにある。

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