大正時代から太平洋戦争前にかけて活躍した兵庫ゆかりの写真家、安井仲治(1903~1942年)の20年ぶりとなる回顧展「生誕120年 安井仲治―僕の大切な写真」が兵庫県立美術館(神戸市中央区)で開かれている。安井自身が手掛けたプリント141点、今回新たに制作した写真作品23点など計205点を公開。時代を経ても古さを感じさせない、安井作品の魅力を解き明かす。
大阪の裕福な商家に生まれた安井は、親から買い与えられたカメラで高校時代から写真を撮り、10代の終わりには関西の名門アマチュア写真団体「浪華写真倶楽部」に入会。顔料でイメージを形作る「ピグメント印画法」を用いた「芸術写真」や、1930年前後に流行した「新興写真」、撮影場所で静物を即興的に組み合わせて現実と超現実を混ぜた「半静物」の技法などによって、写真家としての名声を高めた。宝塚、芦屋と兵庫県内で暮らし、温厚な人柄で多くの人に慕われた安井だったが、38歳の若さで病没した。
展示は時系列の5章立て。第1章では初期の代表作「猿廻しの図」(1925/2023年)を公開している。サルの大道芸以上に、それを眺める人々の佇まいが印象的だ。展示を担当した小林公学芸員は、同作を「さまざまな立場にある人の視線の交錯劇」とし、「安井の写真には、時代や社会状況を冷静に見つめ、俯瞰する要素がある」と指摘する。
「都市への眼差し」とタイトル付けされた第2章では、1931(昭和6)年5月1日、大阪中之島公園でメーデーの行進をするデモ隊を追った写真も。その際のネガ約40枚を基に、安井は新旧の手法を駆使した“実験”を展開。「ブレ」を効果的に生かした「旗」(1931/2023年)や、射るようなまなざしを中心に据え、複数のイメージを合成した「(凝視)」(同年)には、新境地に挑む安井の意欲がそのまま映し出されているようだ。
特定の写真ジャンルや傾向に区分できないものの中にも代表作がある。自宅の窓ガラスに止まったガを撮った「蛾(二)」(1934年)、医療実験の検体とされ、食事を与えられない犬を写した「犬」(1935/2023年)、少女と犬が睦まじい様子で並ぶ「(少女と犬)」(1930年代後半)などには、生き物を慈しむ安井の温かいまなざしが感じられる。
日中戦争が始まった1937(昭和12)年以降は、陸軍病院に慰問、傷病兵を描いた「白衣勇士」(1940/2004年)、ナチスドイツの迫害から逃れ、神戸にやってきたユダヤ人たちを被写体とした「流氓ユダヤ」(1941年)など、戦争関連の作品が増える。戦時下の暗さが漂う作品がある一方で、旅回りのサーカス団を題材とした「(馬と少女)」(1940年)は、縦に二分割されたような画面に馬の上半身と2人の少女が不思議な遠近感で並び、どことなくユーモラスな雰囲気をたたえている。