源義経の家来である弁慶が持っていたと伝えられる武具のひとつ「薙刀(なぎなた)」。競技としての「なぎなた」は、兵庫県ゆかりの伝統武道であることをご存知でしょうか。その歴史ついて、兵庫県職員でなぎなた競技者の増田道仁さんに話を聞きました。
増田さんは、これまで全日本男子なぎなた選手権大会で6回の優勝経験を持つ実力者。さらに第7回世界なぎなた選手権大会男子団体で優勝、個人でも2位の成績を収めています。元々剣道をしていたそうですが、ご両親が神戸中央なぎなたクラブに入会したことがきっかけで10歳からなぎなたを始め、今年で競技歴は19年になるそうです。
「薙刀」または「長刀」と漢字で表すように、長さ210~225センチの棒状の武具(=なぎなた)を使って競技を行います。増田さんによると、古くは平安時代くらいから合戦の記録などに記述が残っているそうで、元々は戦場で人馬をなぎ払う目的で使われていたと言われています。
また室町時代末期からは、戦場では主に槍(やり)が使われることが多くなり、なぎなたは刀などに対して長い間合いをとることができるので、専守防衛の武術として僧兵(=武器を持ったお坊さん)や、武家の女子に受け継がれてきたそうです。さらに明治以降は、主に女子の武道として発展してきました。
◆兵庫県にゆかりがあるのはなぜ?
その歴史を紐解くと、兵庫県伊丹市で酒造業を営んでいた小西家が、地域の用心棒を育成する目的で道場を建てたところから始まります。この道場は1855年に「修武館(しゅうぶかん)」と名付けられ、剣道・なぎなた・居合道の道場として今もなお続いています。
元々なぎなたは、全日本剣道連盟(1952年発足)の一つの部門として存在していました。しかし、修武館の四代目館長に就任した小西静子さんがなぎなたの普及を目指して、1955年に全日本薙刀連盟(=現・全日本なぎなた連盟)を設立。こういった背景から、同連盟の事務局は今も伊丹市に置かれており、毎年開催される全国高校選抜大会も伊丹市内で開かれています。同市では、2012年度から中学校1・2年生で武道が必修になってから授業になぎなたが取り入れられ、子供たちも親しんでいるのだそう。
◆なぎなたの競技ルール
なぎなたの競技は、大きく分けて2種類。1つ目は、演技競技。2人1組で決められた形を行います。全日本なぎなた連盟の形、しかけ、応じわざの8本の中から、指定された3本を、2人1組の演技者によって行い、その技の優劣を競い合います。
そして2つ目は、試合競技です。こちらは袴姿に防具を装着するのですが、剣道でも使われるような面や胴をつけて行います。試合競技での有効部位は面、喉への突き、小手、胴があり、剣道と違うのは、脛(すね)もあること。原則3本勝負で、3分の試合時間内に有効技を先に2本取った方が勝利となります。
現在のなぎなた競技人口を増田さんに伺ったところ、日本国内の会員数は約7万人。また、1990年には国際なぎなた連盟が発足し、1995年に第1回国際なぎなた選手権大会が行われたりと、日本国外でも広まりつつあるそうです。
なぎなたの魅力は、打突部位が多いので人によっていろいろな戦い方がある点だと、増田さんは話します。また全身運動なので身体の使い方が上手くなり、力がそれほどなくても続けやすいので、老若男女問わずお勧めできるそう。「武道には引退という概念がなく、生涯競技として続けることができるので、興味を持った方は兵庫ゆかりのなぎなたをぜひ一度体験してほしい」と語ってくれました。
(取材・文=市岡千枝)