女子ラグビー日本一で有終の美 元選手が明かす「本当にやりきった」現役ラストゲームの記憶 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

女子ラグビー日本一で有終の美 元選手が明かす「本当にやりきった」現役ラストゲームの記憶

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 幼少期から17年にわたってラグビーを続け、第一線でも活躍した元女子ラグビー選手の長利奈々(おさり・なな)さん。ラグビーへの思いや現役ラストゲームの記憶、引退後の活動などについて、ラジオ番組で明かしました。

元女子ラグビー選手の長利奈々(おさり・なな)さん

 長利さんがラグビーと出会ったのは3歳のとき。兄2人の影響で、地元のジュニアラグビーの名門、横浜ラグビースクールの門を叩きます。小学3年生から公式戦に出場できるようになると、勝負の世界の魅力にひきこまれたそうです。

「小学生のあいだに一気に身長が伸びたり、足が速くなったりしたこともあって、男子に負けずにやれたのが楽しかった」(長利さん)

 中学生になると2年時に初めて全国大会を経験。そのときは、「出場チームの下から2番目(の成績)で、決勝を観ても2位のチームが悔しそうにしているのがわからず、決勝で戦えるだけでもいいなと思っていた」のだそう。3年になって全国の決勝まで進み、2位になったときに「すごく悔しい」経験をしたことが、ラグビーキャリアの継続につながったといいます。

「日本一になりたい」という思いを胸に、高校は女子ラグビーの強豪校、島根の石見智翠館高校へ。横浜から離れて寮生活を送るなか、「不安で毎日泣いていた」というものの、チームメイトの存在もあってラグビーに没頭。高校3年時にはキャプテンも務め、高校日本一も達成しました。

 大学進学の際、「ラグビーを辞める選択肢はあまりなかった」と、長利さん。ただし、志望→入学した慶應義塾大学には当時、女子ラグビー部がなく、大学や社会人は同じカテゴリーの大会に出ることもあって、クラブチームの東京山九フェニックスに加入。「これからもずっとラグビーをやるんだろうな」という思いとともに、学業とラグビーを両立する日々を送ったそうです。

 転機となったのは、自身初だったという大けが。ひざの前十字じん帯断裂という重傷を負い、リハビリを行っていたとき、チームがセブンスの日本最高峰の大会で優勝。これまでは「高校生のときなど、試合に出られないとうれしくないし、悔しかった」思いが、「自分が出なくてもすごく応援できるチームメイトがいた。みんなが自分の誇りであり、(快挙達成が)うれしかった」と、心境に変化。そのとき「プレーヤーじゃなくてもいいかも……」と、現役にピリオドを打つことを考えたと明かします。

 そして、最後と決めて臨んだ舞台、2023年1月の全国女子ラグビーフットボール選手権大会で、チームがファイナルに進むと、決勝戦も先発入りした長利さん。「試合で初めて脚がつる」ほど無我夢中でピッチを力走。「自分のやることはやった。これで負けたら仕方ない」と全力を出し切り、2点リードされている後半37分に途中交代。メンバーに後を託してピッチを去ります。

 それでも、長利さんの気迫が乗り移ったチームは、終了間際にトライを決めて土壇場に逆転勝利し、日本一に。フィフティーンらが歓喜に酔いしれるなか、「何とも言えない感情」が沸き起こりつつ、「優勝した瞬間、これ以上の引退はないなと思った。本当にやりきったんだなと心から思った」と回顧。有終の美を飾り、ラグビーの第一線から退きました。

「引退して1年半くらいになるが、ラグビーを見ても(現役で)やりたいとはならない。でもラグビーは大好き」と、現在の思いを語る長利さん。アスリートを対象としたビジネススクールでの学びもいかしながら、大学卒業後は青果関連の会社に就職。この4月からオープンした同社の新業態であるカフェの立ち上げと運営に携わるなど、新たな道でも奮闘しています。


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