「母と弟の笑顔、もっと見たかった」その日は突然…阪神・淡路大震災30年、追悼式典で思いを語る | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「母と弟の笑顔、もっと見たかった」その日は突然…阪神・淡路大震災30年、追悼式典で思いを語る

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 長谷川さんは、震災の教訓を後世に伝えるため、2014年から震災を語り継ぐグループ「語り部KOBE1995」に参加。今は代表として、全国で思いを伝えている。
 しかし、懸念もある。「30年の節目、震災を語り継ぐには良い機会だが、31年、32年となり、経験や教訓を振り返り、引き継ぐ機会や追悼行事が続いていくのかわからない」と話す。

 震災を知らない世代に向けては、「まず、神戸で大地震が起きたことを知ってほしい。家族を失った人々が、悲しみを抱えて、この30年を懸命に生きてきたことを伝えたい。また今後、発生の確率が高まる南海トラフ巨大地震への備えも含めて、さまざまな思いを伝えられる貴重な機会だ」と語った。

 能登半島地震から1年経った今年の元日、長谷川さんはいたたまれない気持ちになった。「また(地震が)起きるのではないか」。あの日以来、単なる元日ではなくなった。

 被災地は阪神・淡路や東日本だけではない。「能登半島で日常生活を取り戻せず、つらい日々を送る人々の気持ちを忘れてはいけない」。30年目の“1.17”を前に誓う。

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