生まれも育ちも神戸市中央区でサブカル郷土史家の佐々木孝昌(神戸史談会、神戸史学会・会員)が、北区出身で落語家の桂天吾と、神戸のあれこれについてポッドキャストで語る『神戸放談』(ラジオ関西Podcast)連載シリーズ。今回のテーマは「新開地」です。
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「おいしいスイーツのあるオシャレな港町」などというステレオタイプな神戸のイメージとは相反するのが、兵庫区の新開地である。旧湊川の埋め立て跡地に誕生して、今年で120年という記念イヤーだ。
新開地は、戦前から戦後しばらくは神戸一の歓楽街であり盛り場だった。東京の浅草、大阪の新世界や千日前に匹敵し、まさに「神戸と言えば新開地。新開地と言えば神戸」といっても過言ではない。特に戦前は映画館や芝居小屋が立ち並び、カフェーや喫茶店や安い飲食店、香具師に屋台、スケート場に水族館、神戸タワー、隣接して福原遊郭などまさに神戸市民の“パラダイス”だったのだ。
戦後、神戸の娯楽の中心地は三宮へ。映画産業の衰退などもあって新開地も斜陽の街に。僕の子供の頃は、「新開地の聚楽館(しゅうらくかん)から南は行ったらあかんで!」と、いつも母親に言われていた。特に、聚楽館より南は薄暗いアーケード。ピンク映画にパチンコ、日雇い労働者にホームレス、反社……場末のドヤ街的な雰囲気だった。
なのでせいぜい湊川公園で遊んだり、神戸東映に「東映まんがまつり」を、神戸東宝に「東宝チャンピオンまつり」などを観に行ったりするぐらい。家族で新開地に食事など行くことは無く、もっぱら三宮ばかりだった。そう言いながら、なぜか公文教室が福原の特殊浴場に挟まれた路地裏にあり、ずっと通っていたが。

だが、1990年から新しいまちづくり計画が始まりだして、街の雰囲気も徐々に変わって行った。僕が本格的に新開地へ入り浸りだしたのも、1990年・高校1年の時からだ。阪神・淡路大震災前までは、ピンクも含めた映画の3本立て・大衆演劇・古本屋・ボーリング・ゲームセンター・パチンコ・ストリップ・安くて美味くて量の多い飲食店・日雇いの手配師などなど、盛り場の面影を残すかのような、ある意味“おもろい”雰囲気があり、学生時代を新開地で謳歌した。
近年は新築マンションの増加などもあり、新しくファミリー層の住人も増えて飲食店の客層も微妙に変わりつつある。喜楽館の開館をはじめ、新開地アート広場での子供向けイベントや「新開地夏・冬まつり」に「新開地音楽祭」など健全にぼちぼち賑わっている。

とはいうものの、震災前の雰囲気も含めまだまだ「新開地らしさ」は残っている。昼間から路上でお酒を飲んで歩道でひっくり返っているおっちゃんや、ここでは書けないようなオモロイ人々。今でも、新開地といえば「ガラが悪い」というイメージの神戸っ子は多いだろう。その通り。今でも決してガラは良くない。
しかし、昔とは違い犯罪系のガラの悪さではない(たまにデンジャラスなこともあるかもしれないが盛り場なんでね)。新開地は、まさに欲望を満たしてくれる“人間臭い本能の街”なのである。犯罪や違法行為はいけないが、「怪しさ」や「不健全さ」というのは歓楽街の魅力でもある。それが、だいぶん薄れたとはいえ新開地にはまだ残っている。逆に、それが無くなれば新開地のアイデンティティーは無くなるだろう。

健全化が必ずしも良いことではない。僕としては、“神戸最後の魔窟“として、新開地にはそういった部分も残して欲しいと願っている。「健全と不健全のバランス」こそが、今後の新開地の課題だろう。新開地に集う昔ながらの人たちとファミリー層を中心とした新しい住人とが入り乱れている“カオスな街”……それが今の新開地である。
(文=サブカル郷土史家 佐々木孝昌)
※ラジオ関西Podcast『神戸放談』#16「誕生120年・ディープな新開地」より





