元サッカー日本女子代表で、現在は指導者・解説者として活躍する大竹七未さん。女性を応援するラジオ番組にて、引退の理由や長年向き合い続けてきた紫外線との戦い、現在取り組んでいることについて語りました。
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大竹さんは読売ベレーザ(現・日テレ・東京ヴェルディベレーザ)で活躍し、日本女子サッカーリーグ(旧L・リーグ)で史上初の通算100ゴールを達成。1996年アトランタ五輪に出場し、1997年にはアジア選手権で銅メダルを獲得。1999年のW杯アメリカ大会では日本唯一のゴールを決めるなど、輝かしいキャリアを誇ります。2001年に現役を引退してからは指導者としても活躍し、日本女子サッカー界を代表する“レジェンド”の一人となりました。

そんな大竹さんが26歳という若さで突然現役を退いた背景には、双子の妹の体調不良とそれに伴う自身の心身の限界があったといいます。
「妹の看病のため半年間サッカーを離れました。筋力も落ち、ボールが怖いとさえ感じるように。歩くことから始め、1年かけてようやく“戦う気持ち”が戻ってきた矢先、代表監督からの『代表、戻すぞ』という言葉に張り詰めていた気持ちが一瞬で切れてしまった」(大竹さん)
1999年W杯でシドニー五輪出場を逃した責任を背負い続けていた大竹さんにとって、その言葉は「役目を終えた」「責任を果たせた」と感じる転機となったようです。多くの人に惜しまれながら、彼女は静かにピッチを去る決断をしました。
現在の大竹さんは“元アスリート”としての視点から、日焼け止めの開発に取り組んでいます。10代の頃から練習に明け暮れ、毎日太陽の下で過ごしてきた現役時代を次のように振り返ります。
「17歳で『肌老化の8割は紫外線』と知ってから、毎日欠かさず日焼け止めを塗ってきました。当時は監督に怒られました。『そんなの気にせず練習しろ』って。でも私は将来の肌を守りたかったんです」(大竹さん)
100種類以上の製品を試しても理想の結果には出会えず、「それなら自分で作ろう」と開発を決意。自らの肌とアスリートとしての経験をもとに研究を重ね、「N SHOOT」という日焼け止めを完成させました。肌への負担を抑えながら高い紫外線防御を実現した“自称・日焼け止めオタク”の大竹さんがこだわり抜いて作った自信作なのだとか。
サッカー人生を通して責任と葛藤を背負い、引退後には新たな挑戦へと踏み出した大竹さん。インタビューの最後に、「他の競技の人たちとも仲良くなりたい。お互い刺激し合って、応援し合えたら」と今後の展望を語り締めくくりました。

※ラジオ関西『ハートフルサポーター』2025年7月21日放送回より





