

万博会場では、イスラエルとパキスタンなど紛争に直面する国同士が共存している。金本さんは「(互いの国が)交流することが重要だ。軍事侵攻を受けているウクライナをはじめ、若い世代のみなさんが“よその国の出来事”と考えず、平和への高い意識を持つことが大事」と力を込めた。
近藤さんは幼少期を振り返り、「エノラゲイ(原子爆弾を投下したB-29爆撃機の名前)に乗っていた人を探して、パンチしたり、蹴ったりして仕返しをしてやろう。爆弾を落とした人間は悪い奴で、自分は正しい人間だと、そう思っていた」と振り返った。
1955年、アメリカ人ジャーナリストの計らいで、アメリカのテレビ番組に牧師だった父親が出演。サプライズとして、当時10歳の近藤さんと母親も招待された。
そこでエノラゲイのパイロットだったロバート・ルイスさんに出会う。ルイスさんは、原爆を落とした広島を上空から見て「広島は消えていた。なんてことをしたのだ」との思いを語り、涙を流した。
その姿を見た近藤さんは、「彼らが涙を流すなんて」と、ショックを受けた。この時、自分の考えが180度変わった。10歳の時だった。「憎むべきは、戦争を起こす“悪”なんだ」。
ルイスさんが亡くなった時、平和公園のことば「どうぞ安らかにお眠りください。私たちは二度と過ちは繰り返しませぬ」と誓ったという。

国連開発計画(UNDP)で世界で起きている貧困や格差、気候変動といった不公正の是正や人道支援に携わった中満さんは、平和、人間の安全保障、人権について強く訴えた。
そのうえで、「新たなテクノロジーが戦争に転用される危険性がある。平和と軍縮は人間に帰着する。戦争を歴史上の問題とせず、自分の事として平和に対する意識を持っているか」と問いかけた。






