シンガーソングライターの川嶋あいさんがパーソナリティーを務めるラジオ番組『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』(ラジオ関西)に、シンガーソングライターの八神純子さんがゲスト出演。東日本大震災時の活動や、辛い時期を乗り越えた経験について語りました。

八神さんは、20歳の誕生日にリリースしたシングル『思い出は美しすぎて』で本格的に歌手デビュー。その後、『みずいろの雨』など数々のヒット曲を生み出しました。生活の拠点をロサンゼルスに移してからも、30年以上にわたり音楽活動を続けています。
東日本大震災が発生した際には、被災地での炊き出しやライブ活動を精力的に行った八神さん。当時の思いについて、次のように語ります。
「阪神・淡路大震災のときも『歌を届けたい』と思って神戸に連絡したのですが、『いまは歌っている場合じゃない』と言われて諦めてしまったんです。その後、『なんて勇気が出なかったんだろう』とすごく後悔した。だから、東日本大震災が起きたときは『今度こそ何があっても行こう』と迷わず東北に向かいました」(八神さん)
被災地での支援活動を通して、「どんなに辛い状況でも、自分の昔のヒット曲に手拍子をしてくれたり、笑顔を見せてくれたりする人がいる」と実感した八神さんは、「被災地の皆さんが若かったころに聴いた音楽を届けるのは、大正解だった」と振り返ります。
また、自身の考えにも変化が訪れたといいます。
「『みずいろの雨』や『パープルタウン』は、私にとって“懐メロ”になっていました。『歌ってください』と言われることが新曲よりも多いので、そういう懐かしのメロディに邪魔をされているのではと思うこともありました。でも、(被災地の)皆さんの様子を見て、『人々から愛された曲を、もう1度自分自身でも愛しなおそう』と思いました。そういう素晴らしいことを学ばせていただきました」(八神さん)
アメリカでの生活は、言葉の壁にぶつかっただけでなく、思うように音楽活動ができず苦しい時期もあったという八神さん。
そんなとき、ガレージの整理中に見つけたのが、満面の笑顔を浮かべた自分の写真でした。そのときの思いについて、次のように語ります。
「(その写真を見て)『笑顔はいつも自分の味方でいてくれる』と思えたんです。だから、“どんなことがあっても自分の笑顔だけは誰にも奪わせない”と決めました。幸せを感じることは、私たちの権利だと思います」(八神さん)





