

富士山を描いた「山下雷電(さんからいでん)」は、葛飾北斎の「富嶽三十六景 山下白雨」の構図を取り入れていると言われる。北斎について山崎は「富士山の姿を出汁に自分のやりたいことをやったモダンな画家」と語っており、川原学芸員は「(山崎)自身も阪神モダニズムの中でモダンな絵画を目指していた。その一つの着地点が富士山だった。画家一本でやっていく中でたどり着いた、ひとつの境地」と話す。

絵画と広告という異なる領域で仕事をし、双方で実績を残した山崎。
「ほん機嫌よう仕事しなはれ。」仕事仲間にかけたというこの言葉は、山崎自身にも向けられていたのかもしれない。







