「キングカズにツッコミ」「ボートレーサー転向」元ヴィッセル神戸・朴康造の“今だから明かせる秘話”

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 兵庫県尼崎市出身の元Jリーガー、朴康造(パク・カンジョ)さん。神戸のラジオ番組にて、幼少期からのキャリアや指導者としての哲学などを語りました。

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 ヴィッセル神戸で背番号「7」を背負い、攻撃的MFとして活躍。2度のJ2降格という苦しい時期もチームとともに戦い抜きました。現役引退後は、女子サッカー「INAC神戸レオネッサ」やJFL「アトレチコ鈴鹿」の監督を務め、現在は「ヴィッセル神戸」のスクールコーチとして次世代の育成に力を注いでいます。

朴康造さん

 朴さんは兄の影響でサッカーを始め、幼い頃からボールを追い続けてきました。高校はサッカーの名門・滝川第二高校へ進学。「韓国国籍だとJリーグでは外国人枠でブラジル人選手と競うことになる。『ブラジル人と僕ならブラジル人を選ぶだろうな』と思っていました。ですが日本の高校を卒業すれば『在日枠』という特別枠を得られることを知り、この1枠を取るために日本の高校を選びました」と、当時の戦略的判断を明かします。

 高校卒業後は京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に入団。2000年からはKリーグでプレーし、同年5月には韓国代表にも選出。5月28日のユーゴスラビア戦で後半30分から出場し、代表デビューを果たしました。2003年にヴィッセル神戸へ移籍すると、2006年には自身初のハットトリックを達成。2桁得点を記録するなどチームの中心として活躍しました。

 2012年シーズン、チームが2度目のJ2降格を喫したその年、朴さんは現役を引退。「何をしても勝てない状況で、チームの雰囲気も良くなかった」と当時を振り返ります。翌日のファン感謝デーには姿を見せなかったそう。「実はボートレーサー養成所に行っていたんです」と打ち明け、スタジオを笑いで沸かせました。しかしながら、これにはれっきとした背景があります。尼崎で生まれ育った朴さんは幼少時から祖父に「ボートレーサーになれ」と言われるほど、地元のボートレース文化に親しんでいたのだとか。その影響もあり、現役引退後にボートレーサーへの転身を決意。実際、養成所に入学します。が、訓練中に右膝の古傷が悪化し入学からわずか5日で退学。「覚悟や根性が足りなかった」と苦笑いしながら過去を振り返っていました。

 2021年には女子プロリーグ「WEリーグ」開幕に合わせて、INAC神戸レオネッサの監督に就任。「女子選手たちは本当に真面目。話しても反応が薄いから『聞いてるのかな?』と思っても、ピッチに出ると僕が言ったことを愚直に実践するんです」とその誠実な姿勢を称えます。一方で、「チーム全体のマネジメントという面では、女子のほうがより細やかな配慮が必要。まとめることは容易ではありませんでした。その経験もあり、後に男子チームの指導にあたりましたが余裕でした。いい勉強になりました」と監督としての成長も語りました。

 そして2024年、“キング・カズ”こと三浦知良さんが所属するJFL・アトレチコ鈴鹿の監督に就任。その縁は京都サンガ時代に遡ります。「僕が寮の202号室で、カズさんがまさかの201号室に入ってきたんです。中学の頃からポスターを貼っていた憧れの人が壁一枚向こうにいるなんて奇跡ですよね」と目を輝かせた朴さん。

「監督を辞めた後、カズさんに『カンジョは今まで出会った監督の中でナンバーワンだよ。トルシエ(サッカー元日本代表監督:フィリップ・トルシエ氏)より上だよ』って言ってもらったんです。それで僕は『ファミリー加点何点ですか? 100点満点中で』って聞いたら『99点』って(笑)。じゃあ俺の監督能力1点しかないやないか!」と、キングとの貴重なおもしろ秘話も飛び出しました。

 ヴィッセル神戸のスクールコーチについては、「特に子どもたちには“サッカーを楽しむこと”を一番に伝えたい」と語る一方で、セレクションの時期には厳しい言葉も。「チームプレーはいらない。セレクションでは『己を出す』『自分のプレーでどれだけ目立てるか』を考えて頑張ってほしい。セレクションでは全体ではなく“個”のプレーを見ているんです」と力強く語ります。

 最後に、今後について聞きました。「また監督にチャレンジしたい気持ちはあります。オファーが来なければ始まらない仕事ですが、WEリーグ、JFL、次は……というのも考えたりしています」と、朴さんは前向きな思いを言葉にのせ、インタビューを締めくくりました。

パーソナリティーのKanon、パーソナリティーの安本卓史、朴康造さん

※ラジオ関西『ハートフルサポーター』2025年10月13日、20日放送回より

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