フリーアナウンサーの長野智子さんがラジオ番組に出演し、アナウンサー人生での葛藤と、挑戦することの意義について語りました。

1985年、アナウンサーとしてフジテレビに入社した長野さん。数々の人気番組に出演し、フリーに転向後も報道番組のキャスターとして活躍しています。
アナウンサーを目指したきっかけは、大学生のころに出演していたラジオ番組での出会いでした。
文化放送『ミスDJリクエストパレード』月曜日のパーソナリティーを担当していた長野さんは、当時について、「周りの皆さんの期待に応えることができず、何にもできないまま辞めてしまって……。『もう絶対この業界無理だわ』『この業界はやめて、学校の先生になろう』と思った」と、振り返ります。
しかし、大学4年生のとき、叱られてばかりだったというディレクターと偶然再会。「ミスDJのなかで1番アナウンサーに向いていると思ったから、厳しく教えたつもりだった。試しに受けてみたら?」と背中を押され、すべりこみでフジテレビのアナウンサー試験に合格しました。
こうしてアナウンサーとしての歩みを始めた長野さんですが、入社後も苦難の連続だったといいます。
入社1年目には日航機墜落事故の取材を経験し、「ニュースがやりたい」と強く思うようになったといいます。しかし、2年目に配属されたのは『オレたちひょうきん族』。この番組をきっかけに有名になったことで、ニュースを担当したいという思いを抱えたまま、バラエティー番組の仕事が続きました。
「バラエティーに出演する芸人さんやタレントさんたちはみんな、人生をかけてやるでしょう。(自分は)どこか全力でぶつかれないというか、自分だけ逃げているような気持ちになって。そのときが1番つらかった」(長野さん)
葛藤の日々が続くなか、夫のニューヨーク転勤が決まります。「やりたいことに向かって、1度は全力でぶつかってみよう」と決意し、当時抱えていた仕事をすべて辞めて渡米。現地の大学院で学んでいた37歳のとき、テレビ朝日から報道番組『ザ・スクープ』のキャスター依頼が届き、念願だった報道キャスターの道を歩みはじめました。
現在は、ラジオ番組のパーソナリティーも務めている長野さん。「(ラジオは)奇跡のメディアだなと思うぐらいおもしろい」と、自由度の高さやリスナーとの距離の近さに魅力を感じているそうです。
「テレビでは、出演者は最後のバトンを受け取る立場。だけどラジオは、走り出すタイミングから出演者に任せられている。どこに行くかわからないとか、そのときのケミストリーや化学反応があって、自分のペースによって、ゴールまでいろいろなレース展開があります」(長野さん)





