芸者が人気歌手に?総理大臣の愛人にも?戦前・戦後の音楽シーンを席巻した“うぐいす芸者”ブームとは

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 美ち奴さんは北海道出身。父は「中村玉二郎」の芸名で活動する旅芸人の座長だったといい、その影響で三味線に親しむようになった。やがて上京して浅草芸者となり、1933年、映画『東京音頭』のトーキー録音に芸妓衆のひとりとして参加。その独特な高い歌声がレコード会社の目に留まり歌手デビューを果たし、『あゝそれなのに』のヒットで人気を不動のものにした。

 4曲目に紹介されたのは、市丸さんの『三味線ブギウギ』(1949年)。1930年代からヒット曲を連発していた市丸さんだったが、戦後になると従来の和風曲だけでは限界があると感じ、作曲家・服部良一さんに「ブギウギを歌わせてほしい」と依頼。大胆なジャズのリズムを取り入れ、“うぐいす芸者”として新境地を切り開いた。

 市丸さんは長野県出身。19歳で上京し浅草芸者となった後、努力の末に清元、長唄、小唄それぞれで名取となった。1931年にレコード会社にスカウトされ歌手デビューすると、数々のヒット曲を発表。当時の総理大臣・近衛文麿に愛人として囲われていたともいわれている。

 芸者が権力者の愛人になることも珍しくなかった時代背景について、中将さんは「近衛さんは公家の最高クラスの家系出身で、当時は天皇の次くらいに権威があった人。市丸さんはその愛人だったわけです」と説明。橋本さんは「カルチャーショック。そんな人が堂々と愛人を作るなんて、今では考えられないですね」と驚きを見せていた。

 最後に紹介されたのは、神楽坂はん子さんの『ゲイシャ・ワルツ』(1952年)。同期デビューだった江利チエミさんの『テネシー・ワルツ』に対抗する形で制作された楽曲で、当時流行していたワルツ調のメロディーと、「あなたのリードで島田もゆれる」といった印象的な歌詞で大ヒットした。

 神楽坂はん子さんは東京出身。これまで紹介された“うぐいす芸者”たちより若い世代だが、都内で料理店を営む両親の反対を押し切り、16歳で神楽坂芸者となった。評判を聞きつけた作詞家・西條八十さん、作曲家・古賀政男さんの前で『アリラン』を披露したところ、その歌声を気に入られ、1952年に歌手デビューした。

 番組のまとめとして中将さんは、「今、芸者というと古めかしい感じがするけど、当時は最先端の女性たち。キャラクターや美容、ファッション面でも若者から注目される要素があったのだと思います」とコメント。番組では、昭和歌謡の発展を支えた“うぐいす芸者”たちの存在や、その華やかな時代背景について語り合っていた。

番組パーソナリティーをつとめる中将タカノリ(右)と橋本菜津美。今年で放送5年目を迎える。
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