「わたしの骨はどこへいく?」(安田依央/著 集英社)。こんなタイトルの本が今春、出版された。人間誰もが必ず迎える死。「終活」など自身の「旅立ち」に向けた準備を進めている人もいるだろう。ひとりで生きていくことはできる。ひとりで死ぬことはできる。でもひとりで「骨になる」ことは…難しい。骨になったとしても、その先は…。本書では終活のその先にある「骨の行方」について、実例や著者の体験を交えて未来について探っていく。

著者は、ひとりっ子、独身、親戚づきあいなし、老親(父親)ありの作家・安田依央。かつて司法書士として依頼人たちの終末に関わってきた。還暦を迎えたのを機に「自分の骨の行方」について真剣に考えたのが本書だ。
「自分もいつか死ぬ。たぶんその時には父親はこの世にいないだろう(存命だったとしてもかなりの高齢)。つまりひとりでその時を迎える。倒れてもすぐに誰かに見つけてもらえるかはわからない。路上で突然、ということもある。その時、身分証明書などを持っていなかったら…」。
本書は序章と「before骨」と「after骨」の6章からなり、「骨になるまでの現実的な難しさ」から「骨になった後、どうなるのか」について紹介。もし自分だったらと想定や、自治体の制度や実例も挙げる。
人は誰しも死後に骨になるという当たり前の事実から始まるが、その過程は単純ではない。遺体の発見、身元の確認、火葬までの手続きなど、多くの段階がある。現実では家族が進めるが、ひとり暮らしや家族・親戚に頼れない立場の場合、スムーズに運ぶことは難しい。著者は「日本の法制度では、入院しても死後のもろもろも『親族の登場』が前提になっている」と書いている。例えば、ひとり暮らしの場合、亡くなってもすぐに気づいてもらえないこともある。時間が経つと遺体は腐敗してしまう。身元確認も大きな壁となる。身元が分かっても、遺体の引き取り手がいないこともある。確認が取れない場合には火葬が進まないこともある。著者曰く「骨になれた」としても、その後、どうなるのか。墓に入るのか。墓がない場合はどうすればいいのか。著者の経験を紹介し、「事前に準備しておくことの必要性」を綴っている。
死後の「墓」についても、近年は従来の墓に納める以外に納骨堂や散骨など様々な選択ができるようになった。墓に入ることが当然ではなくなった今、自分の骨をどこへ託すのか、考える時代に入り、自分なりの選択を準備する重要性を伝えている。
ひとりで生きることはできる。ひとりで死ぬことはできる。ひとりで骨になることは難しい。著者は、自身が家族に頼れない立場として、自分がどのように死を迎え、骨になるのかを考え、「本気で骨までいく。比喩ではなく物理的に骨までいくことを意識して書きました。『骨の行先』について、誰にでも訪れる出来事として、自分事として向き合ってほしい。読んだ方の道しるべになれば」としている。





