4年ぶりの『麗子肖像』など17点を一堂に 山王美術館「岸田劉生展」 東西の美を追求した生涯たどる

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岸田劉生≪村娘図≫1919年、山王美術館

 生涯を通じて画風が大きく変化したことも劉生の特徴だ。北方ルネサンスの絵画に影響を受けた時期には、対象を克明に描き込む写実表現を追求。その後、1923年の関東大震災を機に京都へ移住すると、1926年までの京都時代に中国の宋元画や初期肉筆浮世絵の鑑賞、蒐集に熱中するようになる。西洋から学んだ写実を突き詰めた画家が、やがて東洋の古典美へと向かっていく。この転換は、劉生の画業を特徴づける大きなポイントとなった。

 京都時代の作品として紹介される『お手玉』(1924年頃)も、その変化を物語る一作。劉生は江戸初期の絵師・岩佐又兵衛の美人画を参考にしながら、東洋的な趣を持つ人物表現を試みた。麗子をモデルに又兵衛風の麗子図を描いたことも知られており、本作についても麗子がモデルだった可能性が指摘されている。

岸田劉生≪お手玉≫1924年頃、山王美術館

 歌舞伎を題材とした『芝居絵(六代目中村伝九郎の朝比奈)』(初展示/1922年頃)にも、劉生ならではの美意識が見て取れる。劉生は歌舞伎の所作に、西洋美術が追求した端正で明快な美とは異なる、東洋美術特有の「卑近美」を見いだしていった。一般には美しいとは見なされにくいものの中に、むしろ渋く味わい深い美を発見する。そこには、既成の基準にとらわれず、独自の価値を探し続けた劉生の審美眼があった。そして晩年の作品『菊』(同/1928~1929年)では、緋毛氈(ひもうせん)の上に菊、竹、柿といった東洋的な題材が置かれる。油絵具によって描かれたそれらは、洋画でありながらどこか日本画を思わせる趣を帯び、不思議な存在感を放つ。西洋画から出発した劉生が、東洋の古美術を吸収し、自らの表現へと昇華していった到達点の1つといえるだろう。

岸田劉生≪芝居絵(六代目中村伝九郎の朝比奈)≫1922年頃、山王美術館
岸田劉生≪菊≫1928-1929年、山王美術館

 展覧会では、劉生と同時代を生きた文化人や画家たちとの交流についても紹介。中でも見どころは、白樺派の歌人・木下利玄が所蔵していた『白樺同人寄書画帖』(同/1922~1924年)だ。肺結核を患い病床にあった利玄を、岸田劉生や白樺派の友人たちが見舞った際、それぞれが画帖に書き込みを残したもので、劉生自身も作品を寄せている。武者小路実篤ら白樺派の文化人との友情を具体的に伝える貴重な資料だ。

 展示ではこの寄書画帖に加え、富本憲吉、梅原龍三郎、中川一政ら、劉生と関わりの深かった同時代の作家たちの作品も並ぶ。作品そのものだけでなく、人と人との交流を手掛かりに、近代日本の美術と文化がどのように形づくられていったのかを考察できる構成となっている。

≪白樺同人寄書画帖≫1922-1924年、山王美術館

 展示を担当した大町啓介学芸員は「劉生は長年にわたり麗子を描き続けた一方で、日記などを読むと、周囲から理解してもらえないという孤独感も抱えていたようだ。まずは作品そのものを見てもらった上で人となりを知ってもらい、日本画、洋画というジャンルにとらわれず、興味の赴くままに美を追求していった画家の魂を感じてほしい」と話した。会期は2027年1月31日(日)まで。

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