一方で、鉱山で働く人たちは高い賃金を得ており、最盛期には工員とその家族をあわせて約4000人以上がこの場所に暮らしていました。病院や銀行、郵便局などもあり、山間部に一つの“まち”が形成されていたのです。
かつて鉱石を求めて掘り進められた地下には、採掘の跡だけでなく、時代ごとに新しい技術を取り入れながら発展してきた産業の現場が残されています。
明延鉱山を語るうえで、もうひとつ欠かせない存在が“一円電車”です。
明延鉱山と神子畑選鉱場を結び、鉱山で働く人たちや地域の住民を運んだ、小さな電車。鉱山の閉山とともに役目を終えましたが、地域の人たちやボランティアの手によって現在、再び走っています。
その復活に向けた動きがはじまったのは、閉山から20年ほどが経ったころでした。
まずは、30メートルほどの仮設線路を敷き、バッテリー機関車を借りて1日限りの運行を実施。その後も3年間にわたって運行を続けながら、本格的な復活を目指しました。
運行に必要な資金は募金によって集められ、個人から企業まで幅広い人たちが支援しました。
現在、体験乗車できるのは、客車「くろがね号」。くろがね号は、もともと三菱の社長夫妻を明延に案内するためにつくられた特別な車両だったといいます。

急なカーブにも対応できる“ボギー台車”を備えており、明延に残る車両のなかでも特徴的な構造をしています。
その後は、一般の乗客を運ぶ車両として活躍し、地域の子どもたちにとっては、修学旅行などにも使われた思い出の電車になりました。
現在の運行速度は、時速8キロほど。決して速い電車ではありません。それでも、ゆっくりと線路を進む小さな車両には、かつて鉱山で働いた人たちの暮らしや、明延で育った人たちの思い出が乗っています。
月1回の運行日には、地元の人たちによるうどん店や鉱石発掘体験が行われています。鉱山が閉山しても、その歴史まで消えたわけではありません。
地下に残された坑道や採掘設備が、“明延鉱山でなにが行われていたのか”を伝え、一円電車は、そこで働き、暮らした人たちの記憶を現在につないでいました。
(取材・文=洲崎春花)
※ラジオ関西「谷五郎の笑って暮らそう」2026年8月16日、23日、30日放送分より





