港が150年の節目を迎えた神戸で、ともに歴史を重ねてきた味がある。「神戸の洋食」。フレンチでもなく、イタリアンでもない。日本が西洋文化との出会いから生み出した準日本料理。今や日本中どこにでもあるグルメのジャンルだが、神戸の洋食はその歴史をたどると必ず150年前の開港にいきつく。神戸っ子のシビック・プライドが支え、愛し続けてきた神戸洋食の今を知る一冊が出版された。
「神戸と洋食」(神戸新聞総合出版センター、1600円+税)。筆者の江弘毅は、京阪神エルマガジン社時代の1989年に「ミーツリージョナル」を創刊、12年にわたって編集長を務めた。グルメのほか幅広いタウン情報の取材に関わり、今も街と食に関する執筆を続ける。2017年から神戸松陰女子学院大学教授。本書は豊富な蓄積をベースに、新たな取材を加えて2年がかりで書き下ろした。
本書によると、神戸の洋食は大きく三つの系譜に分類できる。第一の系譜は「オリエンタルホテル」。慶応3(1868)年に神戸港が外国に開かれ、港からはさまざまな西洋の文化が入ってきた。「洋食」もその一つで、その舞台となったのが外国人居留地のオリエンタルホテルだった。
日本における「フランス料理の父」と称されるフランス人、ルイ・ぺギューは、明治元年に東京の外国人居留地に開業した「築地ホテル」の初代料理長のほか、横浜の外国人居留地に建てられた日本最大のホテル「横浜グランドホテル」の初代料理長も務めた。明治20年(1887)年に神戸に移り、オリエンタルホテルの社主として多くの人材を育てた。その後、社長となったアーサー・ヘスケス・グルームは、六甲山を開いたことで知られるが、一方で洋食に欠かせない西洋野菜の栽培にも力を入れた。
ホテルは長い歴史を刻みつつ、港の繁栄の中で神戸の洋食を生み育てていったが、阪神・淡路大震災で廃業。しかし厨房からは、ホテルの伝統を受け継ぐ多くの人材が生まれ、今も神戸の洋食の担い手となっている。
第二の系譜は「陸(おか)に上がった船のコック」。外国への移動手段がまだ船だったころ、豪華客船の厨房は最高ランクの料理人らが集う場所だった。外国航路で働くコックの社会では、レシピのみならず、評判のブイヨンやソースをシェアしあう文化があったという。追い足し、追い足して深みを増していったソースは、やがて船を降りたコックたちによって神戸の洋食の味となっていった。
最後は、オリエンタルホテルや外航船のいずれにもルーツを持たない第三の系譜。長崎の外国人保養地で、オランダ人シェフから手ほどきを受けたレシピや、戦後、神戸元町から三宮にかけての闇市からの復興期、腕利きの洋食料理人を集めて開業した店もある。
本書では、これら三つの系譜に属する店も個別に紹介。神戸っ子なら誰もが知っている名店が名を連ねる。神戸っ子が長年、愛し続けてきた神戸の味ばかりだ。
今や世界的なブランドとなった「神戸ビーフ」も、そのルーツは肉食が解禁された明治維新の文明開化。居留地の外国人や外国船の船長から牛の納入を依頼された農家が、農業用の牛を納めたのが牛肉店創業のきっかけだった。カレーライスやブイヨンに欠かせない玉ねぎや、オリーブオイルの歴史も神戸を抜きには語れない。神戸っ子に愛され続けてきた神戸の洋食。港町の150年の歴史に思いをはせながら味わってはいかがだろうか。