できることを淡々と 「電光影裏斬春風」の意味を知る ラピス和尚の辻説法 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

できることを淡々と 「電光影裏斬春風」の意味を知る ラピス和尚の辻説法

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 神戸大倉山・楠寺瑠璃光苑の住職「ラピス和尚」さんが、ラジオ番組を通じて、楽しい仏教うんちくを届けています。日頃なにげなく使っている言葉が、思いもよらない“ふか~い”意味を持っていることも。今回の辻説法は、「電光影裏斬春風(でんこう・えいりに・しゅんぷうをきる)」です。

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◆本日の辻説法
「電光影裏斬春風」

 電光とは、「電光石化のごとく」でおなじみの雷鳴を伴う稲妻や稲光のことを指します。するどい光「電光」とふんわりここちよい「春風」。とても対照的な言葉のように思いますが、いったいどのような関係があるのでしょうか。

 これは、1226年に中国南宋で生まれた僧侶、無学祖元(むがく・そげん)の言葉です。

 1275年、フビライ=ハン率いる蒙古軍は南宋を攻撃。無学祖元の能仁寺は兵士でいっぱいになり、ついに刃を突き付けられたときに、この言葉は放たれました。

「電光影裏斬春風」、その意味とは……!?

 人生は束の間。人生を悟った者は永遠に滅びることがありません。稲妻が春風を打つようなもので、真の魂まで奪うことはできないもの。今をとりまく状況はすべてまぼろしであるのです。

「まぼろしに切られても、ちっともなんともない。切られても大丈夫」、それを聴いた兵も黙って去ったといわれています。

 和尚いわく、「守らなければならないことや、目標が定まっている人は何もおそれることはない。邪魔なものはすべてまぼろしと考えられる人は幸せ。自分ができることを淡々と進めていく人が一番強いのです」と。


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ラジオ関西『ラピスモーニング』(lps@jocr.jp)まで。

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