神戸連続児童殺傷事件から24年、当時小学校6年生だった次男、淳君を失った父、土師 守さんが寄せたコメントは次の通り。
今年の5月24日がきますと、淳が私たちのもとからいなくなってから24年になります。24年という年月が経過しても、私たち家族の淳に対する想いは変わることはありません。
加害男性からの手紙は、今年も届いていません。以前から言い続けていることですが、私たちは、何故、淳が命を奪われなければいけなかったのかという問題について、私たちが納得するような真の解答を求め続けています。そのためには、彼自身が事件に真摯に向き合う必要がありますが、手紙を書くという作業は、事件に向き合うための重要な手段であると考えています。私たちが手紙を受け取るかどうかとは関係なく、手紙を書いて欲しいと思っています。
年(2021年)6月で「全国犯罪被害者の会(あすの会)」が解散してから3年になります。あすの会は、その18年に及ぶ活動期間中に、犯罪被害者の置かれた環境を大きく改善しました。あすの会は、大きな幹の部分を作ることは出来たのではないかと思いますが、それでもまだまだ多くの問題点が残されています。あすの会解散後に、関西集会のメンバーを中心にして「つなぐ会」が設立されました。現在の所は新型コロナ感染症の影響で、十分な活動は出来ていませんが、あすの会の思いを引き継いで、他の団体とも協力しながら、私たちができる範囲内で被害者問題の改善に今後も努めていきたいと思います。
令和3年5月24日 土師 守
《神戸連続児童殺傷事件》
1997(平成9)年2~5月、神戸市須磨区で小学生の男女5人が襲われ、小学4年の山下彩花ちゃん(当時・10)と小学6年の土師淳君(当時・11)が死亡、ほか3人が負傷した。兵庫県警は1997年6月28日、殺人・死体遺棄容疑で中学3年の少年(当時・14)を逮捕した。少年は神戸家裁での審判の後、医療少年院に収容され、2005年に仮退院した。そして加害男性は2015年、遺族に知らせることなく、手記「絶歌」を出版した。加害男性は医療少年院の仮退院後、近況を知らせるために遺族へ手紙を出していたが、2018年からは途絶えているという。