先日、ずいぶん前の雑誌記事を読む機会がありました。ある亡くなられた俳優さんのインタビューでした。大好きな俳優の方だったので読み進めていくと、最後に聞き手が 「これからも『せいぜい』がんばってください」と話していました。「なつかしい表現だな。久しぶりに聞いた」と思ったのですが、皆さんはこの「精々(精精/せいぜい)」 という言葉、どんな意味で受け止めますか?
「『せいぜい』頑張って」、今の時代ですと、多くの方が「まぁ、やるだけやってみたら」「できるものならやれば?」など、どちらかと言えば、「上から目線」のように、その人を下にみているように受け取る方が多いのかもしれません。
ところが、精々(精精)という言葉は、どの国語辞典にも「力の限り、精一杯努力をする、できるだけ」などの意味が載っています。「精々がんばってください」というのは、本来は「力いっぱい頑張ってください」というような激励の言葉なのです。
それがなぜ否定に近いニュアンスを含むようになっていったのでしょうか? それぞれの国語辞典には2つ目の意味として「たかだか」や「どれほどがんばっても」など、否定のニュアンスともとることができる意味が載っていました。断定はできませんが、その昔はそれぞれの意味を使い分けて使っていたものが、いつの間にか否定する方が主流になっていった可能性があります。
また、冒頭に書いた雑誌が販売されていた時代を考えると、40年から45年くらい前には本来の意味で使われていたようですので、それ以降に変化した可能性があります。ただ、何がきっかけで今のような使い方が多くなっていったのかは定かではありません。
なお「精々」という言葉は、もともと(と言っても、相当な昔ですが)は「精誠」という文字で表記されていたと言われています。
「精」の字は、常用字解第二版(平凡社)の解説に「(前略)のちすべて『きよい、うつくしい、くわしい』の意味に用い、また精神(心。心の動き)のように『こころ、たましい』の意味に用いる。(後略)」とあります。一方の「誠」は「(前略)そのように清められた心で約すること、神に誓うこと、またその誓うときの心を誠という。(後略)」(同辞典)などとあります。こうした内容からもわかるように、文字そのものにも前向きな思いや意味が込められているということは言えそうです。
今はオリンピック開催中です。さまざまな思いが交錯する大会ですが、この酷暑のなか、プレーする選手には本当に頭が下がります。
中継に携わるアナウンサーもこの言葉で締めくくってくれることを期待して、今回は最後にこの言葉を贈ります。