女優の武田梨奈がパーソナリティーを務めるラジオ番組『武田梨奈のこだわりな時間』(ラジオ関西)7月16日放送回に、ロックバンド「クリープハイプ」ボーカル・ギターの尾崎世界観が、前週に続いてゲスト出演。番組でのクロストークのなかで、尾崎の音楽を始めたきっかけやこだわりに、武田が迫った。
【武田】 最初に音楽を始めるきっかけとなったのは何歳くらいですか。
【尾崎】 中学生の頃ですね。ギターを友だちがみんな持っていて。親のおさがりがあったり、新しく買ったりしていたので、それで自分も中古でギターを買ったのがきっかけです。おもちゃみたいな感じですね。みんなが持っているから買ってみようと。それからずっとやっていますね。
【武田】 今だと、 例えば動画コンテンツを見て、学んで練習する方法もありますが、尾崎さんが中学生の頃はどうでしたか?
【尾崎】 本でしたね。当時、ヒット曲にコードがふってあって歌えるような雑誌が出ていたんですよ。その後ろにコード表もあったし、指(の絵)が書いていて、そのとおりに抑えて練習していましたね。でも、全部さかさまに見ていて、もうかなり頑張って覚えたんですが、どうしても音がおかしいというので、間違いにだいぶ経ってから気づいたということもありましたね。
【武田】 そこから音楽を始めて、歌はいつごろから始められたんでしょうか?
【尾崎】 なんとなく歌ってみたり作ってみたりはしていたんですが、これが形になっているという感覚はなかったし、だいぶ時間が経ってからでしたね。
【武田】 そこからデビューするまでは、どれくらいでしたか?
【尾崎】 10年くらいですかね、メジャーデビューするまでは。バンドを組んでから、インディーズというか、アマチュアでやっていました。ライブハウスに出て、ノルマ払って、またバイトして、そのまま稼ぐみたいな。お客さんがいないのに、ライブハウスにお金払うためだけに働いてるような感覚があって、あのときは大変でしたね。でも、みんながそれをやっているから、それがおかしいと思わなかったんです。今だったらライブハウスにあまり出るという感覚はないんでしょうね。ネットにあげたり、ああいうの(SNSやYouTubeなど)があるから。当時はなかったし、ライブハウスからしかバンドが世に出ないという感覚があったんですよね。あのときは、どうなっていたんでしょうね、いったい……。なんか本当に変な世界ですね。でも、その世界を見られたから、今があるのかもしれないですが。それも、ある種の「痛み」ですよね。自分しかわからない失敗をしたときの痛みというのは(後々に)大事だと思いますね。
【武田】 今でもそう思うことはありますか?
【尾崎】 あります。あるけど、そのときの種類とはまた違いますね。やっぱり聴いてくれるファンの方がいる前提の痛みなので。そこの失敗なので、種類・ジャンルが全く違う痛みというか。今の方がより悔しいですね、やっぱり。
【武田】 共通の親しい映画監督の松居大悟監督もまったく同じことをおっしゃっていました。「ずっと悔しい」とおっしゃっていて、私から見ると、すごく活躍されていると思うのですが。でも、いまだにそういう野心みたいなものを皆さんが持っているのを聞くと、ちょっと安心します。
【尾崎】 謙遜していると思われることが、一番悔しいですよね。恥ずかしい、ダサいなと思います。そうだな……納得できないですね。ただのわがままなのかもしれないですが。
【武田】 尾崎さんが今後、目標にしていることはありますか?
【尾崎】 今の音楽活動をしながら、作品を作って、文章も書いたりして。この形でずっと続けていきたいです。昔からそんなに明確にこうしたいというのがあったわけではないですが、自分の作品を作りたい。それが(できるのは)すごく幸せですね。自分が聴きたい曲や自分が読みたいものを基本的には書いているので、一番は自分が自分で読んだり聴いたりする(というもの)、それを喜んでもらえるということが本当にうれしいです。最初からファンのためにこれを作るというのは、なんかおこがましいかなと思っていて。そんなに偉いと自分は思っていないので。やっぱり、自分をまず満足させること。そうしないと、何か伝えるうえで失礼だなと思うんです。「おまえが一番うれしくないのに持ってくるなよ」って、思われるんじゃないかと。だから、それはこだわっていますね。
『武田梨奈のこだわりな時間』
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