鹿児島県奄美大島出身で、奄美民謡「シマ唄」をルーツに持つシンガーの城南海(きずき・みなみ)が25日のラジオ番組『春名優輝PUSH!』(ラジオ関西)の単独インタビューに応えた。その前半で、城は「奄美を離れたあと、兄の影響で『シマ唄』に目覚めて歌うようになった」と、当時の様子を振り返っていた。以下は、番組内でのインタビュー前半の様子(聞き手はラジオ関西の春名優輝アナウンサー)。
春名 神戸にいらっしゃるのは久しぶり?
城 今年は一度来ました。昨年はコンサートもさせていただいて。よく来ています。
春名 神戸の印象はいかがですか?
城 街もきれいで、さっきも美味しいパンをいただきましたが、ごはんも美味しい。歩いていて気持ちいい、好きな街です。
春名 「シマ唄」はカタカナなんですね。
城 私はカタカナで表記していますが、シマ唄の「シマ」の意味は、“Island ”の意味の「島」ではなく、「集落」のことを奄美では指しているんです。その集落ごと、「シマ」ごとに歌い継がれてきた唄を「シマ唄」というので、そういう意味を込めてカタカナで表記しています。
春名 お城の「城」で “きずき”、「南の海」と書いて “みなみ” さんというお名前で、奄美大島出身のシンガーさんとしてはイメージ通りという感じではありますが、奄美大島での音楽との出会いはどのようなものだったのでしょうか。
城 私は2歳のときからクラシックピアノを習っていて、「将来はピアノの先生とか音楽の先生とかできればいいなあ」と思って勉強していました。そのうち、奄美大島を離れて鹿児島市内に転校し、高校生のときくらいから「シマ唄」に目覚めて歌うようになっていきました。
春名 移住したあとにですか?
城 そうです。奄美に住んでいたときは、あまりそんなに歌っている人はいなくて。家でおじいちゃん、おばあちゃんが歌う家庭は歌われると思いますが、(「シマ唄」を実際に歌うのは)40人の1クラスにひとり、いるかいないかという感じです。私もずっとクラシックだったんですが、奄美を離れて鹿児島に行ってから、まず、年の離れた兄が趣味で「シマ唄」を始めました。たぶん、島をなつかしく思ったり、「帰りたいな」、「島の人と一緒に集まりたいな」と思ったのでしょうか。そういう場で触れ合っていくなかで、兄も歌いだしました。同じ鹿児島県といっても、(本土と奄美では)全然言葉も違うし、流れている時間も違う。そういう境遇のなかで、私も釣られて「いいな」と思って、歌うようになりました。
春名 今年2019年はデビューから10周年です。デビュー当時のことや、高校生時代を振り返って変化はありましたか?
城 そうですね、まず自分が東京に住むなんて思ってもいなかった。大学に通いながら、1年生の時にデビューしたので、(朝)5時に起きて1限に行き、(授業が)終わったら仕事に行って……。友だちと遊ぶ時間もあまりなくて……、だけど毎日毎日新しいことにチャレンジして、いろんな場所で歌って、いろんな人と出会って、すごく刺激的であっという間に(時間が)過ぎていったなという気がします。