昭和の神戸っ子は知ってる“ケミカルシューズ”って何? 組合→「靴×神戸の色濃い歴史が関係している」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

昭和の神戸っ子は知ってる“ケミカルシューズ”って何? 組合→「靴×神戸の色濃い歴史が関係している」

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“ケミカルシューズ”なるものをご存知でしょうか。兵庫県出身かつ昭和世代にはピンとくるアイテムのようですが、名前だけではどのような靴を指しているのかすぐに想像できませんよね?

 そこで『日本ケミカルシューズ工業組合』(神戸市長田区)に聞いたところ「塩化ビニールなどの合成樹脂を使用したケミカル素材(合成皮革)で作った靴」を“ケミカルシューズ”と呼んでいた、との回答が。

神戸発のファッションアイテム「ケミカルシューズ」とは(提供=日本ケミカルシューズ工業組合)

 なぜ神戸でケミカルシューズは誕生したのでしょうか。そこには「神戸」と「靴」の歴史が深く関係しています。神戸は明治時代より靴文化が盛んなことで知られており、その都市を代表する文化として「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」という言葉がありますが、そこに「神戸の履き倒れ」という言葉が続くほど。

 さかのぼること1868年。神戸港が開港し、外国人が滞在する「居留地」ができました。それにより洋菓子やスポーツなどの文化が発展したことは有名な話。そんな神戸居留地で“外国人の靴修繕”という商売から派生し生まれたのが「神戸靴」です。それまで鼻緒やぞうりを作っていた職人たちがしだいに「靴」づくりに傾倒していきました。そうした流れの中で、やがて「履き倒れ」と言わしめるほどの靴文化が開化したといわれています。そして時代は進み、1945年代(昭和20年代)に突入。塩化ビニールを靴のアッパー(足の甲をおおう部分)に用いたケミカルシューズが開発されたのです。

「神戸市のなかでも、特に現在の長田区では昔からゴムを使ったモノづくりが盛んでした。ですが戦後にはゴムの供給が不足してしまいました。そこで長田の靴メーカーがゴムにかわる素材で靴づくりを試みるうち、塩化ビニールという素材に行き着いたのです」(日本ケミカルシューズ工業組合)

ケミカルシューズが誕生した地・神戸市長田区(イメージ)

「ファッションシューズ」や「モード靴」といった呼び名で親しまれ、デザイン性の高さが爆発的な人気となったケミカルシューズ。石油ショックやバブル崩壊など数々の危機を乗り越えてきましたが、1995年に起こった阪神淡路大震災によって約8割もの靴メーカーが打撃を受けました。

「靴業界へのダメージにくわえ、技術の進歩や靴の素材・製法などの変化により“ケミカルシューズ”という概念は無くなりつつあります」(日本ケミカルシューズ工業組合)

 そこで組合は産地である長田区に焦点をあて、裁縫や裁断など一定の品質基準をクリアした新たな靴づくりに取り組みはじめたのです。これまでつちかった靴製造技術を集大成した“神戸ならではの靴”を新たなブランドに押し上げるべく、2006年に地域団体商標の申請をしました。しかし残念ながら「周知性が不足している」という理由で認可されませんでした。それでも諦めることなく、大阪や東京などでキャンペーンや展示会を精力的に実施し神戸シューズのアピールを続け、ようやく2014年に「神戸シューズ」が認定されたのです。

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