生まれてすぐに父の会社が倒産し、13歳にして母が他界。最初に起業した不動産会社は業界史上最短・最年少で株式上場を果たすも、リーマンショックの影響でふくれあがった400億円の負債により民事再生を余儀なくされた。波乱万丈な人生を歩んできた起業家が、自身の経験とこれからの日本について語った。
ラジオ番組『セケンテー/ぼくらは囚われない』(ラジオ関西)の2023年6月24日放送回に出演したのは、株式会社シーラテクノロジーズ代表取締役会長グループ執行役員CEOの杉本宏之さん。数々の苦難を経て復活を果たした姿から、番組パーソナリティーのCEOセオは杉本さんを「フェニックス(不死鳥)」と称した。
杉本さんの生い立ちは決して好スタートではない。生まれてすぐに父の会社が倒産。その後、生死の境をさまよう交通事故にあい、13歳のときには母を胃がんで亡くした。そして18歳のときに父と大ゲンカ。そのケンカが杉本さんにとっての人生の転機となった。
杉本さんは19歳で就職した住宅販売会社でトップセールスマンとなり、22歳のころには年収約2000万円に。社宅のマンション最上階に住み、車も与えられ、恵まれたサラリーマン生活を送っていた。そして日付は2001年9月11日。その日偶然ロサンゼルスにいた杉本さんは現地で、9.11のアメリカ同時多発テロを体験する。この経験は杉本さんに大きな影響を与え、ロサンゼルスから帰国後たった2か月で独立を果たした。
設立した会社はとてつもない勢いで成長した。7億円、20億円、60億円、180億円と、一気に株式上場までのぼりつめた。
しかし、絶好調だった杉本さんの会社にもリーマンショックは大きな影響を与えた。膨大な負債を抱えることとなった当時について、杉本さんは「銀行も債権者も毎日来るし、週刊誌にも追われるし……。『来月倒産するんじゃないか』といろんな新聞紙にも載るし。もう大変な毎日だった」と振り返った。
その後、会社は民事再生を申請。社員は3名にまで減り、杉本さんにとって孤独な時間が訪れた。そんなある日、実業家の堀江貴文氏から励ましの電話があったという。さらに、励ましの言葉をくれたのは堀江氏だけではなかった。株式会社テイクアンドギヴ・ニーズ代表取締役会長の野尻佳孝氏や、株式会社サイバーエージェント代表取締役社長の藤田晋氏。彼らからの「胸をはれ」という言葉に支えられたと語った。
苦難を乗り越えた経験から、「人生を前向きにとらえて常に頑張るべき」と思いを述べた杉本さん。今と昔、支えてくれる人たちに改めて感謝の気持ちを示した。
紆余曲折を経て、現在役員を務める株式会社シーラテクノロジーズは米国株式市場ナスダックに上場。過去の経験もあり、「経営スタイルは180度くらい変わった」と明かした。
円安ドル高が続く現在、杉本さんは投資家の視点から「日本に注目が集まっている」と話す。金融緩和を続けざるを得ない日本の状況を踏まえて金利を上げることは難しいとしつつ「インバウンドも来るし(海外からの)投資も集まる」と主張し、「だからぬるま湯(が続く)」と持論を述べた。
パーソナリティーのCEOセオ(連続起業家兼アーティスト)は、不動産市場が円安の追い風を受けていることを認識。日本の不動産は限られた在庫しかないため、この状況は好機であると続けた。