元阪神の桧山進次郎氏、野球にまい進した少年時代を語る「始まりはすべて兄」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

元阪神の桧山進次郎氏、野球にまい進した少年時代を語る「始まりはすべて兄」

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「気付いた頃には兄の背中をいつも追っていた」と自身の少年時代を振り返るのは、プロ野球・元阪神の桧山進次郎氏。17日放送のラジオ番組で、野球人生を歩むきっかけとなった父と兄との思い出を語った。

桧山進次郎氏(写真:ラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』)

 京都市右京区出身の桧山氏は、地元の平安中学校・高校(現、龍谷大学付属平安中学校・高校)を経て、東洋大学に進学後、1991年のドラフト4位で憧れの球団・阪神へ入団。1992年から22シーズンにわたってタテジマ一筋で活躍し、2003年と05年にはリーグ優勝に貢献。その後は「代打の神様」として活躍を続け、2013年に現役引退。翌年からは野球解説者やスポーツコメンテーターとして活動している。

 ラジオ番組『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』(ラジオ関西)2023年7月17日放送回にゲスト出演した桧山氏は、少年時代のことを尋ねられた際、「『いつから野球やってたん?』と聞かれても分からないくらい、物心ついた頃にはもう野球が好きだった」と回答。

 父親と2つ年上の兄が野球をしていたため、その影響を受け「気付けば兄の背中を追っていた」と話す桧山氏。当時は、自宅の目の前にある公園でいつも野球をしていたと言う。

「親父と兄貴がピッチャーだった。子どもの頃は親父が公園の砂場にマウンドを作って、僕は捕手として兄の球を取る係をしていましたね。始まりはすべて兄でした」(桧山氏)

 そして桧山氏は、小学校4年生の頃に兄と同じ少年野球チームに参加。2学年も違うため実力にも大きな差が出る中、桧山氏は常に兄の学年のレベルで野球をしていたのだという。自分の数歩先を行く兄に対して桧山氏は「不満は全くなかったです。むしろレベルが高いので、もっと上手くなりたい、追いつきたいと考えていました」と、当時の心境を語った。

 また、高校進学をする際も兄が入学した平安高校を選んだと話す桧山氏。

「入学できたら僕が1年生、兄が3年生なので、頑張れば兄弟で一緒に甲子園へ行ける可能性があったんです。その夢を叶えるために、平安高校ではなく(付属の)平安中学から入れば有利になるんじゃないかと思って、中学受験して、まずは平安中学に入学しました」と桧山氏は話すが、いざ入学してみると野球部が強くなく、勉強ができなかったらクラブ活動も禁止の学業優先な学校だったと明かす。

 しかし、桧山氏はそんな中でも野球の練習を続けていたと言う。中学では軟式野球部に所属し、夕方から夜まで練習した後、自宅の練習場で兄とともに自主練し、その後に翌日の授業に備え予習をしていたのだそう。ハードな学生生活だったが、その頃には「プロ野球選手になるぞ、と思っていたし、すでにバリバリの阪神ファンだった」と桧山氏は当時を振り返っていた。

写真左から、田中大貴、桧山進次郎氏、林歳彦氏(会社経営者・環境活動家) (写真:ラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』)

※『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』2023年7月17日放送回より

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としちゃん・大貴の ええやんカー!やってみよう!! | ラジオ関西 | 2023/07/17/月 19:30-20:00

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