今やどこにでもある「自動ドア」。近づくだけでドアが開いたり勝手に閉じたりするのは、文明が発達した現代においては当たり前のテクノロジーにも思えるかもしれませんが、その技術自体はかなり昔からあったようです。世界で初めての自動ドアやその歴史について、国内自動ドアのパイオニアとして「NABCO(ナブコ)」ブランドを展開するナブテスコ株式会社(以下、ナブテスコ)に聞きました。
自動ドアにはどのような歴史があったのでしょうか。ナブテスコによると、世界で初めての自動ドアは、なんと、紀元前から存在したとのこと。「紀元前にエジプトのアレクサンドリアでは発明家のヘロンが蒸気を利用して、神殿の扉を自動的に開閉させたといわれています」(ナブテスコ)。
そこから自動ドアはどのような歴史を歩んだのでしょうか。ナブテスコによると「時代は進み、近代的な自動ドアの基は19世紀末から20世紀初め頃に創られたとされています。唯一の記録としては1931年に世界で初めてアメリカの会社が空圧式の自動ドアを作動させることに成功させ、同年にコネチカット州のレストラン内のキッチンとダイニングの間に空圧式スイングタイプの自動ドアを設置したと報告されています」とのこと。
その後、日本に建物用の自動ドアが誕生したのが1956年のこと。日本初の国産自動ドアを製造・納入したのがナブテスコでした。「日本エヤーブレーキ(現 ナブテスコ)は当時、大正時代から鉄道のエヤーブレーキの製造を行っており、エヤブレーキの機能と生産技術を応用して、空気圧式の鉄道車車両用自動ドアを製造・納入しました。ここから、建物用の自動ドアの開発も進んでいき、銀行での採用をはじめとし、病院、工場やホテルなどへ普及していきました」(ナブテスコ)。
ちなみに自動ドア発売当初は「未来の贅沢品」「高価なもの」としてなかなか採用してもらえなかったとのこと。銀行での採用は「珍しさで集客につながる」「高級なイメージにつながる」などの理由があったようです。そのお値段は自動ドア一つでおおよそ家1軒分ほどの価格だったとのこと。
大きな一つの進化として 1960年代、日本で自動ドアは開き戸タイプから引き戸タイプに変わっていったこともポイントです。これは障子やふすまなどの日本古来の文化として定着していることなどが背景にあります。
引き戸タイプへの変化を経て、東京オリンピック(1964年)による建設ブーム、大阪万博(1970年)への出展などを契機に国内で普及していきました。
世の中で自動ドアの普及が進んでいくなか、技術的には「空圧式」「油圧式」などを経て、現在は電気モーターでドアを開閉させ、人の接近には赤外線で感知するセンサーを採用するのが主流となっています。