プロ野球の日本シリーズが始まり、阪神vsオリックスという59年ぶりの関西ダービーの熱戦が繰り広げられています。どちらが日本一を獲り、ペナントレースに続き阪神・岡田監督、オリックス・中嶋監督どちらの胴上げを見ることができるのかに注目が集まります。
ところで、優勝や大学合格などといった“特別な時”の祝福に行われる胴上げですが、そもそも何故、祝福時に“胴上げ”は行われるのでしょうか。民俗学の専門家、国学院大学・新谷尚紀教授に話を聞きました。
複数人が円になって一人を宙に放り投げる「胴上げ」ですが、新谷教授によると元々は「祝福ではなく、リセットのために行われていた」とのこと。
「新年を迎える時、節分の時、厄年などの時に人は“異常な状態”にあると考えられ、さらに胴上げすることでその異常な状態から通常の状態へリセットすることができる、と考えられていました。例えば、江戸時代後期の町の人々の様子を描いた東都歳時記には、大晦日の大掃除の時に胴上げをしている様子が描かれています。この時代、汚れは『悪いもの』と考えられており、大掃除で汚れた人は1年の悪いものを全て持った人とされ、胴上げをすることで全て悪いものを取り払い、新年を迎えようとしていました」(新谷教授)
この考え方を反映した行事はまだ全国に残っており、新潟県糸魚川市ではその年の厄年の人を捕まえて天井に向かって放り上げる「裸胴上げまつり」、福井県鯖江市でも同様に厄年の人を投げて厄払いをする「殿上まいり」などが行われています。また、大相撲では興行最終日の千秋楽に行司の胴上げを行います。これは祝福ではなく、神事としての相撲の勝敗を判定する行司から、普通の人へ“リセット”する、という意味合いがあるようです。
おもしろいことに、「祝福とは真逆で、制裁のために胴上げをしていたこともあります」と新谷教授。
「井原西鶴の『好色一代男』には、牢屋で新入りの罪人が来たときに、胴上げして下に落とす場面が出てきます。こうした嫌がらせや制裁にも胴上げはされていました」(新谷教授)
では現在はなぜ祝福の時にだけ胴上げを行うのでしょうか? 新谷教授は「興奮した人を冷静な状態にするため」という意味合いから変化していった、と推測しています。
「興奮した人は“異常な状態”でリセットする必要があり、良いことがあって興奮した状態の人から悪いものを取り払うために胴上げをするようになった、という説があります。悪いものを取り払うという目的から異常な状態をリセットする、祝福で胴上げをする、と段々と意味が変わってきたのだと推測されます」(新谷教授)
さらに新谷教授は「人間は本来、興奮した時に何かを持ち上げる、放り投げるという習性があることから、日本では文化として広まったのではないかと考えます。日本独自の文化ではありますが、似たような行事や祭りは世界でも多くあるため、日本人のみの習性から生まれたものではないですね」とも語っています。
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今はめでたい時に行われる胴上げですが、危険な行為でもありますので実際に行う時はくれぐれも注意してください。
(取材・文=宮田智也)