女子プロレス界の“名悪役”ダンプ松本 「若い頃は泣いたほうがいい、泣いた分だけ優しくなれる」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

女子プロレス界の“名悪役”ダンプ松本 「若い頃は泣いたほうがいい、泣いた分だけ優しくなれる」 

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 シンガーソングライターの川嶋あいがパーソナリティーを務めるラジオ番組『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』(ラジオ関西、毎月第1・2週日曜午後5時〜)。12月3日の放送では、全日本女子プロレスで人気を博したダンプ松本さんがゲスト出演。女子プロレス時代を語ったほか、自身のつらい経験をもとにリスナーへメッセージを送った。

ダンプ松本さん

 高校卒業後、「苦労してきた最愛の母のために家を建ててあげたい」という思いから女子プロレスラーになることを決意し、1980年に全日本女子プロレスでデビュー。1984年にリングネームを「ダンプ松本」に改名すると同時に、悪役レスラーを束ねる「極悪同盟」を結成し女子プロレス界に大きく貢献した。1度女子プロレス界から引退するも、「業界を再び盛り上げたい」との思いから復帰しタレント活動と両立してきた。

 幼いころから、女子プロレスラー・タッグであるビューティ・ペアのジャッキー佐藤さんの大ファンだったというダンプ松本さん。書類審査にはじまり、数々のテストを乗り越え、ついに女子プロレスの夢を叶えた。当初から悪役になることを夢見ていたそうで、その理由を「ヒールだったら実力で上にあがっていけるから」と説明。

 デビューしてすぐの下積み時代は、受け身が取れるようにとにかく稽古・練習の毎日だったという。先輩・後輩の縦社会が厳しかったため、当時は「自分はこうなりたいです」という思いを口にすることもできなかったのだとか。

「もちろん、いじめられることもありました」と語る、ダンプ松本さん。しかし、「ここで辞めたら負け」という思いもあり、唯一先輩・後輩の関係が取り払われるリングの上で「ぶっ飛ばす」ことを心に決めていたのだそう。

 泥棒被害にあうなどの嫌がらせが数多くあるなかで、なぜヒール役をやり遂げられたのか。自身に矛先が向けられるのならまだしも、家族や物に被害が及ぶことはつらかったものの、「誰よりも憎まれるヒールになりたい」「それ(被害)があるということは、自分がヒール役に徹し、憎まれているということ」「明日・明後日はもっともっと憎まれよう」という思いが自身を奮い立たせ、「憎まれることに命をかけていた」という。

 現在、さまざまな悩みを抱えるリスナーに向けて、ダンプ松本さんはこのようにメッセージを送った。

「人間どこに行っても、1番つらいのは人間関係。人を見る目を養って、どの人についていったら頑張れるのかを自分自身で決めるのがいい。それから、若い人は泣いたほうがいい。泣いたら泣いた分だけ相手の気持ちがわかるようになって、優しくなれると思います」(ダンプ松本さん)

【この日のリクエスト曲】
FUNKY MONKEY BABYS『ちっぽけな勇気』

ダンプ松本さん(写真右)、番組パーソナリティー・シンガーソングライターの川嶋あい(同左)
ダンプ松本さん(写真右)、番組パーソナリティー・シンガーソングライターの川嶋あい(同左)

※ラジオ関西『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』2023年12月3日放送回より


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『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』(パーソナリティ:川嶋あい)
【番組公式ブログ】



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