西宮市の震災慰霊碑公園には市内で犠牲になった1,086人の名前を刻んだ慰霊碑があり、阪神・淡路大震災から29年経った17日、多くの人が花を手向けに訪れた。
市内在住の40代の女性は、震災で祖父(当時88)を亡くした。2階建ての木造家屋で、1階で下敷きになった。自身は2階で就寝していて、助かったことを責めた。「おじいちゃんに申し訳ない」。
時は流れ、母親となった今、幼い息子に震災をどう伝えるか自問自答している。
こうした中、1月1日に能登半島地震が起きた。ニュース映像で見る被災地の光景は、29年前の「あの時」と同じだった。涙が止まらなかった。
「何もできない無力さ」。東日本大震災の時も感じていた。「自然の脅威に勝てない私たち、この現実を子どもたちに伝えていかなければ」。
この日、女性は慰霊碑で銘板に記された祖父の名を改めて確認し、報告した。「おじいちゃん、みんな元気にやってるよ。来年は(震災から)30年。息子と一緒に来るからね」と誓う。