歌手のばんばひろふみが、29年間続いてきた自身のラジオ番組『ばんばひろふみ!ラジオDEしょー!』(ラジオ関西)が、今年の3月末で放送を終了すると番組内で発表した。
ばんばは、「神戸市・兵庫県の震災からの復興を目指して、街が再建されていくのと同時並行でやってきたけれど、そろそろ次の世代にバトンタッチしてもいいんじゃないか」と、次へ託す思いとともに退くことをリスナーに報告した。
『ばんばひろふみ!ラジオDEしょー!』は、阪神・淡路大震災発生から約2か月半後の1995年4月に放送を開始した。(当時の番組名は『土曜!バンバン やってもいいかな?』)
ばんばひろふみと言えばミュージシャンであると同時に、数々の深夜放送で一世を風靡したラジオスター。発災から2か月半の神戸の街は地震の爪痕が生々しく、多くのリスナーが日常を奪われたままだったが、一日も早く笑顔を取り戻してもらうためにと、コンセプトは「早朝の深夜放送」と決まった。まだまだ災害報道が中心の番組編成の中で、バンバンとパートナーの増井孝子の軽妙なトークには笑いが絶えなかったが、神戸のリスナーからとがめる声はなく、はがきやFAXを通して多くのあたたかいメッセージが届いた。
番組プロデューサー(当時)は「戦争を知らない子供たち」などのヒットで知られるフォークデュオ・ジローズの森下悦伸。森下、ばんば、増井の3人は大学生の頃から交流があり、ばんばにヒット曲がなかった1974年に『バンバン・たかこのサテライトスペシャル』(神戸三宮の地下街・さんちかにあったサテライトスタジオから放送)、『いちご白書をもう一度』などでトップスターになっていた1980年にも、「ポートピア‘81」(神戸ポートアイランド博覧会)の機運を盛り上げる『バンバンの青春ポートピア』で番組タッグを組んでいた。
この3人だったからこそ震災直後に“おバカな番組”をスタートさせて、復興の道のりをともに歩む放送ができたと言っても過言ではない。2005年には、全国からの支援に感謝を伝える神戸市の事業「震災10年 神戸からの発信」で、ばんばが総合アドバイザー、増井が司会を務め、平松愛理、堀内孝雄、松浦亜弥らを迎えてのコンサートを開催した。
また、世界初のED治療薬として大きな話題となったバイアグラを、医師立ち合いのもとでばんばが生放送中に服用する企画や、レギュラー出演者にも関わらず放送では犬猿の仲だった落語家・露の吉次と演歌歌手・秋野こぎくの結婚など、29年に及ぶ番組の歴史の中にはリスナーを驚かせる様々な出来事があった。昨年亡くなったシンガーソングライターの谷村新司さんやもんたよしのりさんら、ばんばの音楽仲間も数多く出演した。
ばんばはこの日、ともにパーソナリティとして歩んできた増井孝子らとともに、「あんな大変な時に『笑いを届けたい』って……バカですね~」と放送開始当初を振り返りながら、「本当に助けられた」と、29年の長きにわたり支えてくれたリスナーへの感謝を述べた。
「寂しいっちゃ寂しいけど、3月まで続くからまだ実感がない」というばんば。「来週もアホなことを言うてやってると思う」とスタジオを笑いで包み、リスナーへの“重要なお知らせ”を終えた。
どんな番組もいつかは終わる。『ばんばひろふみ!ラジオDEしょー!』にとって2024年3月27日がその日だ。くしくも今年の「1.17」は同番組のオンエアの日だった。来年の震災30年を前に、番組にとっては今年が節目と言えるのかもしれない。