前明石市長の泉房穂氏が、19日放送のラジオ番組にゲスト出演。地元・明石で成し遂げたまちづくりへの信念などを明かしました。
ラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』に2週連続で出演した泉氏。2011年から2023年までの3期12年にわたって明石市長を務めましたが、当時、目指していたのは、「明石を、胸を張れる、優しくて誇りを持てるまちにしたかった」ということ。
47歳で市長に就任してから取り組んだことについて、泉氏は次のように熱く語ります。
「市長には方針決定権・予算編成権・人事権の3つの権限があって、私が市長になればこの権限を行使してまちを変えられる、良くできるという自信があったので市長を目指したんです」
「就任後は『子どもという未来を応援する』『すべての市民を包み込む優しいまちにする』という2つの方針を軸にしていました」
「まず、子どもに関して、明石市は人口30万人で1年間で動くお金は大体2000億円ほど、私が市長になる前はそのお金の中で125億円を子どもに使っていましたが、私が市長を辞めるころには297億円と、約2.4倍に増やしています」
「次に、明石市の正規職員は2000人ほどいる中、学校教育を除く子育て支援の職員が30数名だったところを、4倍の150名に。お金を増やし、人を増やし、さらに『五つの無償化』で子どもという未来を応援してきました」
一方、就任当時は「子育て支援よりも産業振興が優先では」という意見もあったそうですが、泉氏いわく「子どもを応援することが産業振興だ」と、次のように子育て政策の重要性を説きます。
「子どもを本気で応援したら、子育て層の負担が軽減されて、子どものいる家庭が地元の商店街で買い物をしたり、ご飯を食べたりして、むしろ商店街が活気づくんです。私は、子ども政策というのは地域経済活性策だと思っています。結果、明石市は私が市長になって人口が5パーセント以上増え、土地価格も上がり、地元の商店街も過去最高利益を更新し続けています。これは明石市民が地元でお金を落とせるようになったということ。子どもを応援するのはきれいごとだけではなく、そうすることによって、まちの全員が豊かになる。それを意識していました」
そんな強い推進力とリーダーシップで市を導いてきた泉氏ですが、就任後の5~6年は「ほぼ総スカン、私のしようとしていることを理解してもらえず孤立無援だった」。
ただ、そんな状況であっても「嫌われようが憎まれようが、まちと市民のためにやり切る覚悟さえあればいい」と、方針を曲げなかった泉氏。就任中の12年間に「三つの発想の逆転」を提唱し続けた結果、良い変化もあったと語ります。
「見るべきは国の中央省庁の顔色ではなく市民の顔だという『お上意識からの脱却』。見るべきは隣町ではなく我が町の可能性と限界を見極める『横並び意識からの脱却』。見るべきは過去ではなく現実と未来である『前例主義からの脱却』。この三つを言い続けて、それらから脱却した明石市をつくりました。その結果、最初は私から発案すこと事が多かったのに、後半になれば職員の方から『市長、こんなことしてみませんか?』と声があがるようになったんです」
明石市長としてまちを大きく変え、2023年に市長としての役目を終えた今の状況については、「子どもの頃から政治家を目指し、やっと人生1周目が終わって、今は休憩中という認識」と言いつつ、「また2周目が始まるかもしれない」と、今も勢いが衰えることのない熱意もにじませていました。
泉氏は今後、幅広い世代に向けた書籍の執筆を通し、自身の思いを伝える活動を続けていきたいと語っていました。
※ラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』2024年2月19日放送回より