5月になったばかりですが、このゴールデンウイーク中をはじめ気温の高い日が続き、今年も猛暑を予感させます。そんなときに炭酸飲料で爽快にのどを潤すという人も多いでしょう。
そのなかで、いまや“国民的炭酸飲料”とも言われる『三ツ矢サイダー』(アサヒ飲料)の発祥が兵庫県で、しかも、岩手県出身の名童話作家・宮沢賢治がそのサイダーをこよなく愛していたことはご存知でしょうか。ここでは、『三ツ矢サイダー』の主な歴史や、今も残る宮沢賢治と『三ツ矢サイダー』とのつながりについて、紹介します。
アサヒ飲料によると『三ツ矢サイダー』の起源は明治時代。1881年にイギリスの科学者ウィリアム・ガウランドが、兵庫県川辺郡平野村(現・川西市)に湧出する天然鉱泉・平野鉱泉を、飲み物に「理想的な鉱泉」だと賞賛したのが始まりです。そして、今からちょうど140年前の1884年に『平野水』として発売されました。ただ当時は甘みのない炭酸水として飲まれ、後に、甘みや香料になるサイダーフレーバーエッセンスを輸入して、『三ツ矢印の平野シャンペンサイダー』の製造販売をはじめました。
大正の中頃に、能勢電鉄の平野駅北部一帯には、東洋一の規模といわれた清涼飲料水工場があり、そこで加工され『三ツ矢サイダー』になりました。現在は、工場跡地に「三ツ矢塔」が残されています。
兵庫生まれの『三ツ矢サイダー』は岩手の作家にも愛されました。「銀河鉄道の夜」などで知られる宮沢賢治です。
宮沢賢治には行きつけのそば屋がありました。大正12年創業で岩手県花巻市に本店を構える「やぶ屋」です。
ちなみに現在、同店には「賢治セット」というメニューがあります。値段は天ぷらそばと三ツ矢サイダーがセットで1280円(税込)。お店の方は「今の値段を宮沢賢治に知られると怒られてしまうかもしれません」と話していました。
今年も猛暑が予想されています。暑さでのどが渇いた日に歴史を感じながら『三ツ矢サイダー』をゴクッと飲むのもいいかもしれませんね。
※ラジオ関西『Clip』2024年5月1日放送回「トコトン兵庫!」より