朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)が襲撃され、記者2人が死傷した事件から5月3日、37年を迎えた。
朝日新聞社は3日、現場となった阪神支局に小尻知博記者(当時29歳)を追悼する祭壇を設け、約250人の市民が訪れ、小尻記者の遺影の前で、37年前に起きた事件による犠牲を悼んだ。
今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で取りやめていた記帳台の設置と資料室の一般公開を5年ぶりに再開した。資料室には、散弾が撃ち込まれた痕のある服や取材ノートなどの遺品が展示され、見学した約140人が改めて言論の自由や民主主義について考える日となった。
そして、発生時刻の午後8時15分に「しのぶ会」が開かれた。一般には非公開で、朝日新聞社の坂尻顕吾(さかじり・けんご)執行役員・編集担当ら約30人が参加し、小池淳(こいけ・あつし)阪神支局長の合図で1分間の黙祷を捧げた。
龍沢正之(たつざわ・まさゆき)大阪本社編集局長は、「(襲撃事件の)犯行声明には『反日朝日は 五十年前にかえれ』と記されていました。新聞が全体主義や戦争に突き進む政府に迎合し、自由な言論が封じ込められた時代への回帰を求めるものでした。そうした時代に立ち返らないために、私たちは言論の自由を守り、多様な意見を尊重すること、暴力に決して屈しないことを胸に深く刻みました。(資料室の)壁にある事件直後の記事からは、その強い思いが伝わってきます。私たちはこれからもずっと、その思いを引き継いでいくことを誓います」と話した。
この日午前、広島県呉市にある小尻記者の墓に朝日新聞大阪本社と広島総局の幹部らが訪れ、手を合わせた。
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事件は1987(昭和62)年5月3日午後8時15分に発生。朝日新聞阪神支局に目出し帽姿の男が押し入って散弾銃を発砲し、小尻記者が死亡、同僚の犬飼兵衛氏(2018年死去)が重傷を負った。
「赤報隊」を名乗る犯行声明が届き、中曽根康弘元首相への脅迫、江副浩正リクルート元会長宅銃撃、愛知韓国人会館放火など7件の事件について、警察庁は「指定116号事件」としたが、いずれも未解決のまま、2003(平成15)年までにすべての公訴時効が成立した(阪神支局襲撃事件の時効は2002年)。