《神戸連続児童殺傷事件27年》「加害者の“償い”…それは私たちが感じること」土師守さんが語る | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《神戸連続児童殺傷事件27年》「加害者の“償い”…それは私たちが感じること」土師守さんが語る

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 1997(平成9)年、世間を震撼させた「神戸連続児童殺傷事件」。

 被害者の1人、土師淳君(当時11歳)が亡くなり、5月24日で27年を迎えた。

 淳君の父親・守さん(68)が、命日を前にラジオ関西の取材に応じ、加害者の男性(2004年に医療少年院を仮退院)について、「被害者や被害者遺族が、“償い”であると感じて初めて償いといえる」と話した。
そして、「なぜ淳の命が奪われなければならなかったのか、(男性に)問い続けたい」と思いを語った。

ラジオ関西のインタビューに応じる土師守さん<2024年5月10日>

 守さんは「何年経っても、淳への思いは同じ。純粋な子どもだった。普通に怒ったり笑ったり、ふとした瞬間にいつも思い浮かぶのは、どんな子どもにもある表情だ」と振り返る。

 加害男性からの接触は、現時点ではまったくなくなっている。

 加害男性は、2004年に医療少年院を仮退院した。その後2015年に突然、”元少年 A”として手記「絶歌」を出版、物議をかもした。 男性は自らの近況を知らせる手紙を守さんのもとに届けていたが、手記の出版に強く憤り、抗議した守さんは2016、2017年は手紙の受け取りを拒否した。そして2018年から手紙は途絶えた。

守さんは、「淳がなぜ、加害男性に命を奪われなければいけなかったのかという問いについて、私たちが納得する解答を求め続けている。この『なぜ』に答えることで、事件に真摯に向き合ってもらう」手段のひとつが手紙だったと話す。守さんら遺族は今、とても悔しい気持ちを引きずっている。

 守さんに、「償い」とは何かと尋ねた。

 その答えは、「物を壊しても弁償出来るような場合や、事件で傷害を負わされたにしても、その程度が軽く、後遺症も残らないような場合であれば『償い』という言葉を使うことはできる。
しかし、殺人等の重大な犯罪においては、被害者にとって、本当の意味での「償い」は極めて難しいことではないかと思う。被害者、被害者遺族が『償い』であると感じて初めて償いといえるのではないか」ということだった。

 犯罪被害者の「セーフティネット」が、ようやく形になってきた。

 2023年3月、兵庫県犯罪被害者条例が県議会で可決され、4月1日に施行された。兵庫県内では、2022年2月までに全41市町で被害者支援条例が制定されたが、支援内容に格差があるため、守さんら被害者遺族が中心となり「被害者がどの地域にいても平等に支援を受けられるよう、差を埋めるような条例を作ってほしい」と支援の拡充を求めていた。さらに2024年4月から、兵庫県は犯罪被害者や遺族への見舞金制度を創設した。
 守さんは全国犯罪被害者の会(あすの会・2018年に解散)で、犯罪被害者や遺族の権利の確⽴を訴え56万⼈分の署名を集めて犯罪被害者等基本法の成⽴にも貢献した。その後、被害者・遺族が刑事裁判に参加し、被告⼈に直接問いかける「被害者参加制度」の実現や殺⼈事件などの時効の撤廃にも⼒を注いだ。

 このうち、見舞金について守さんは、「制定した都道府県は少ない。被害者とその遺族にとって、事件直後は精神的な苦しさとともに、金銭的にも厳しい。一部では転居を余儀なくされたりと、想像もつかない場面に遭遇する。少しでも経済的な負担を和らげることが必要だ」と話す。

 「犯罪被害者の苦悩、これは経験した者でなければわからない」。守さんはこれまでのラジオ関西の取材に、何度もこう答えている。この思いがあるから、守さん自身が県条例の検討委員に加わり、より良い「セーフティーネット」作りに力を注いだ。被害者家族に幼い子ども(被害者のきょうだい)がいる場合、心のケアを含めて教育的な支援を訴えてきた。そのためには専門家の力が必要と説く。

 事件から27年経ち、「“老い”を感じる」とつぶやく守さん。5年ほど前には体調も崩した。「時を重ねると、しだいに普通の生活が戻り、27年という時間の幅が生活の安定をもたらしてくれた。日々、ささやかな喜びもある。それはほかの方々と変わらない。しかし、事件で淳を失い、本当の意味で”心の安寧”が訪れることはないのかも知れない」と話す。

 そして「これからは、自分のできる範囲で、犯罪被害者支援を続けたい。これまで同じ立場の被害者や遺族という“仲間”と頑張ってきたことに誇りを持っている」と振り返る。
 犯罪被害者を取り巻く環境は、27年前に比べて大きく変わった。それでも守さんは「安穏とせずに、さらに改善を」と願う。

神戸連続児童殺傷事件・現場付近-通称「タンク山」と慰霊碑「なかよし地蔵」(神戸市須磨区)

《神戸連続児童殺傷事件》
1997(平成9)年2~5月、神戸市須磨区で小学生の男女5人が襲われ、小学4年の山下彩花さん(当時10歳)と小学6年の土師淳君(当時11歳)が死亡、ほか3人が負傷した。兵庫県警は1997年6月28日、殺人・死体遺棄容疑で中学3年の少年(当時14歳)を逮捕した。
 少年は神戸家裁での審判の後、医療少年院に収容され、2004年に仮退院し、2005年に社会へ復帰する。そして2015年、遺族に知らせることなく、手記「絶歌」を出版し、被害者遺族から批判が起きた。仮退院後、近況を知らせるために遺族へ手紙を出していたが、2018年からは途絶えているという。
 2022年、この事件をはじめ重大な少年事件の記録が各地の家庭裁判所で廃棄されていたことが発覚。これを受け最高裁は全国の裁判所に対し、民事・家事(離婚、養育費、相続、成年後見など家庭に関する事件)・刑事事件を含めた全ての記録の廃棄を一時停止するよう指示した。そして史料的価値の高い事件記録を「国民共有の財産」として永久保存すると定めた新たな規則を作った。


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