1960年代の高度経済成長期にインテリアデザインという新たな領域で活躍し、1991年に56歳という若さで急逝した日本を代表するデザイナー倉俣史朗。その軌跡を、作品と残された言葉で追う「倉俣史朗のデザインー記憶のなかの小宇宙」が、京都国立近代美術館(京都市左京区)で開かれている。2024年8月18日(日)まで。
会場には、若い頃の作品から生涯の代表作、スケッチ、初公開となる資料など200点超が並ぶ。倉俣が当時の雑誌などで語った言葉とともに紹介し、その素顔に迫る。
倉俣は、1960年代に東京・銀座のランドマークとなる商業施設「三愛ドリームセンター」の店内設計で注目を集め、当時はまだ曖昧な認識しかなかったインテリアデザインという領域で活躍した。
一方で商品化を前提とせず自主的に制作した家具を発表する。今展では造花のバラが浮遊するアクリルブロックの椅子『ミス・ブランチ』、『変型の家具Side1』や『椅子の椅子』などを集めた。「実用性は追求しておらず、倉俣にとって家具は自分の考えややりたいことを表現するものだった」と京都国立近代美術館の宮川智美研究員は話す。
倉俣は80年代にイタリアのデザイン運動「メンフィス」に参加し、国際的な評価を高めた。その中で作風も変化したという。その代表といえるのが板硝子を貼り合わせ最小限の構造を突き詰めた『硝子の椅子』。宮川研究員は「透明なので透けて見える。モノとしてそこに存在するが、そこにあることを感じさせない。モノを作ることを否定しないというアプローチに変わった」と分析する。
倉俣の展覧会は、国内でこれまでに3回開催されているが、いずれも当事者目線で構成されたもので、いわば周囲の人が思い描く倉俣像を映し出すものだった。「京都での開催は25年ぶりとなる。今回は、美術館の学芸員が残された資料から作家の心を見直し、くみ取って構成した、学芸員が作った展覧会」と宮川研究員は話す。また同館の福永治館長は「彼が遺した言葉と合わせ、環境デザインの神髄に触れてほしい」とする。