尾崎裕哉が明かす、父・豊への思い 繰り返し楽曲を聴くことで「“尾崎豊”の魂が宿ってきた」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

尾崎裕哉が明かす、父・豊への思い 繰り返し楽曲を聴くことで「“尾崎豊”の魂が宿ってきた」

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 シンガーソングライターの川嶋あいがパーソナリティーを務めるラジオ番組『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』(ラジオ関西、毎月第1・2週日曜午後5時〜)。7月7日の放送では、シンガーソングライターの尾崎裕哉(おざき・ひろや)さんがゲスト出演。父・豊への思いや、音楽に触れることになったきっかけについて語った。

尾崎裕哉(おざき・ひろや)さん(左)と、川嶋あい

 5歳のころにアメリカ・ボストンにわたり、その後10年間をアメリカの地で過ごした裕哉さん。2004年に音楽活動を開始したのち、2016年にオリジナル楽曲『始まりの街』でデビュー。2023年には、父・豊の名曲『I LOVE YOU』をカバーしたEPをリリースした。現在は、弾き語りやバンド、オーケストラをはじめとした、さまざまなスタイルのコンサートを開催するなど、精力的に活動を行っている。

 裕哉さんとの共演を楽しみにしていたという川嶋。じつは、尾崎豊さんの楽曲をきっかけに音楽を作るようになったのだとか。

「息子として、父の活動や人柄をどのように見ていたのか」と尋ねられた裕哉さんは、「(父は)2歳のときに亡くなったので記憶はほとんどないのですが」と前置きをしつつ、「作品などの音声はたくさん残っていたので、それらをかき集めて、彼(豊)の存在のピースをつなげていった。そのパズルのような集合体が僕のなかのイメージ」と語った。

 物心がつく前から父がミュージシャンであることは認識していたが、「ちゃんと(曲を)聴いてみよう」と思ったのは12歳のころ。そのときに「尾崎豊を探す旅」がはじまり、その後2年間は父の楽曲だけを聴く日々を送っていた。何度も何度も繰り返し父の楽曲を聴いていた裕哉さんは、やがて、「尾崎の魂が宿ってきた」という。

 そんな裕哉さんが音楽に触れるようになったのは、アメリカでの寮生活中、隣の部屋の友人がギターをはじめたことがきっかけだった。「一緒に練習しよう」という友人との約束から、尾崎豊以外の音楽にも触れるようになった。

「音楽をやるなら日本で」と心に決めていた裕哉さん。しかし、長年アメリカに住んでいたために日本語が得意でなかったことから、日本語で楽曲を作れるようになるまでに長い年月を要したという。

 いろいろなことで悩んでいる人々に向けて、裕哉さんはこのように語った。

「いろいろと考えるなかで、決まったことを取り戻すことはできない。でも、一緒に過ごした時間や思い出は、自分のなかに残っている限り無限に命があるような気がしていて。そういう、(思い出を)大切に思う気持ちをなくさないでほしいなと思います」(裕哉さん)

※ラジオ関西『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』2024年7月7日放送回より

尾崎裕哉さん(右)と、川嶋あい
『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』(パーソナリティ:川嶋あい)
【番組公式ブログ】

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