漫画やドラマなどにおいて「AがBの居ないところで話題に上げている→場面が切り替わりBがくしゃみをする」といった演出を見かけることがあります。ここからBが「どうせAが俺のことを悪く言っているんだ」となるか、「誰かが俺のことカッコイイと噂している」となるかはストーリーによりけりですが、このような事象はしばしば“噂をされるとくしゃみが出る”という迷信めいたフレーズで表現されます。しかし、いったい何を根拠とした迷信なのでしょうか? 日本の文化に詳しい和文化研究家の三浦康子さんに話を聞きました。
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三浦さんによると、くしゃみは元来“不吉なもの”として捉えられていたそうです。「古くはくしゃみをすると鼻から魂が抜けると信じられ、早死にするとされていました。昔は風邪で亡くなってしまうことも多かったので、風邪の前触れでもあるくしゃみは不吉なものと考えられていました」とのこと。この考え方が元となり、くしゃみという行為自体が「何か良くないものの仕業」「誰かの思いや力によってくしゃみが出る」といった転換をされるようになり、やがて「誰かが自分の噂をしている」と変化していったのだそう。
一方で、くしゃみを良いものと捉える考えもあったようです。「かの有名な『万葉集』には“くしゃみを連発するのは愛する妻が私を思ってくれているからだろう”という内容があります。くしゃみの回数で噂の内容が違う……という迷信を聞いたことはないでしょうか? この頃からそういった考えがあったことがわかります」(三浦さん)
ちなみに、「くしゃみ」の語源は「嚏(くさめ)」というおまじないから来ていると三浦さんは言います。
「かつては、くしゃみが出た時に“くさめ”と唱える慣習がありました。『徒然草』でもくしゃみをした子が死んでしまわぬよう、くさめ・くさめ、と唱える様子が書かれています。これがいつしか“くしゃみ”となり、行為自体を指すようになったと考えられています。さらに、『くさめ』自体の語源は陰陽道の休息万命(くそくまんみょう)から来た説と、悪態である“クソくらえ”の元となった糞食め(くそはめ)から来たという説があります」(三浦さん)
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三浦さんによると「迷信はコミュニケーション術として定着していったというケースも多くあります。くしゃみは自分ではコントロールすることができないので、気まずくなることもありますよね? くしゃみを誰かのせいにすることで、その場がうまく収まるという配慮でもあるのです」とのこと。コミュニケーションの手段でもあるくしゃみの迷信、今後も受け継がれていくのでしょうか。
(取材・文=宮田智也)
三浦康子/監修・文 『天然生活手帖2025』(扶桑社)
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