昭和後期の1980年代、日本にはバブル経済が到来し空前の好景気に世の中が沸いたといいます。当時の映画や雑誌や広告を見てみると、男性も女性もやたらと肩幅が広く大きなシルエットのジャケットに身を包んでいることがわかります。その“体を大きく見せる服”のポイントでもあった「肩パッド」の当時と現在について、オーダーメイドの洋服店『セントオーディン』を営み自身もバブル時代を経験したという洋服デザイナー・永井純さんに聞きました。
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永井さんによると、肩パッドは今も昔も洋服になくてはならない根幹の部分だといいます。
「紳士用として生まれたジャケットは、襟と肩で支えて格好良く着こなすもの。裏地と表生地の間の肩の部分にウールの綿で固めたパッドを入れることで、ジャケット全体に芯が通り、エレガントなシルエットで上品に着こなすことができるのです」(永井さん)
バブル期の日本で肩パッドが大きく主張するデザインのジャケットが流行したきっかけについて、「大きく分けて二つの理由がある」と永井さん。
一つめは「海外映画の影響」。80年代当時、イタリアで誕生したラグジュアリーブランド・アルマーニがハリウッド映画に衣装の提供を行う機会が増加。例えば、日本で1980年に公開されたハリウッド映画『アメリカン・ジゴロ』では、主人公のモテ男・ジュリアンを演じたリチャード・ギアが肩の部分に分厚いパッドの入ったアルマーニのスーツを着こなし、その色気と堂々とした姿に若者たちが夢中になりました。海外の紳士たちが着こなす肩幅の大きなスーツは、まるで自信がみなぎっているように見えることから「パワースーツ」とも呼ばれ、日本のファッションに大きな影響を与えたそうです。
ふたつめの理由は「女性の社会進出」です。1985年に男女雇用機会均等法が制定され、女性が職を持ちキャリアを築くという新しい生き方が主流になりはじめた時代。肩がピシッと張ったデザインに原色カラーを使用した華やかなジャケットは、新たな生き方を体現しようと挑戦する女性にとって「戦闘服」のような役割を担う一面もあったと永井さん。翌年には本格的なバブルが到来し、仕事が終わればディスコに直行するというカルチャーも定番化。「よく働きよく遊ぶための装い」として、身体を大きく見せド派手な印象を与えるジャケットはバブルのライフスタイルにおいて男女共通の必須アイテムとなっていったそう。
「当時のファッション業界では『肩パッドを厚くすればするほど服が売れる』と言われることもあったほどでした」(永井さん)
80年代の日本では「肩パッドの厚みは財布の厚み」「自信は肩幅にあらわれる」といった言葉がまことしやかに囁かれており、多くの人が現金主義で帯付きの札束を一つ二つと財布に詰め込んでいた人も少なくなかったとか。「大きなシルエットのスーツを身にまとい、札束でパンパンに膨らんだクロコ柄やハイブランドの財布をセカンドバッグに投げ込んで、それを小脇に抱えてディスコや飲食店に出かける男性がかっこいいとされていた」と永井さんは語ります。
しかしながら、バブル崩壊などを契機に次第にコンパクトでスマートなシルエットの服が好まれるようになり、全盛期は3センチ近い厚みが当たり前だった肩パッドも近年では0.5センチから1センチ程度まで薄くなったといいます。また、ジャケットのシルエットの変化に合わせてパンツもコンパクトに。当時は、2タック・3タックと贅沢にひだが施されていたパンツは、今ではノータックも当たり前。少ない生地でコンパクトにまとめるデザインが主流なのだそう。
永井さんは「バブル時代は時間もお金もたっぷり掛けて作った、好き嫌いがはっきり分かれるような“変わった服”が沢山ありました。もし若い方がご自宅で眠る当時のジャケットを見付けたら、肩パッドを取り外さず是非そのままカッコよく着て欲しいですね」と締めくくりました。
(取材・文=村川千晶)
※2025年1月10日放送 金曜Clip「マリンの気になるネオ昭和!」より