昭和の時代、自転車で街角にやってきて子どもたちを熱中させた街頭紙芝居。昭和20年代から30年代にかけてがピークで、多いときには全国に約5万人の紙芝居師がいたそうだが、現在、プロと呼べるのは全国で10人前後ともいわれている。
そのうちの1人、“紙芝居屋のガンチャン”こと岩橋範季(のりき)さん(44)に、昨今の事情を聞いた。
岩橋さんは、大阪市西成区の出身。関西の芸術大学で脚本を学んだあと、東京でフリーター、石川県ではフランチャイズでピザ店の店長……と職を転々とした。しかし、脚本家になるという夢をあきらめきれず、28歳のころに地元・大阪へ。演劇に関わることのできる仕事を探しているなかで見つけたのが、紙芝居師の募集だった。
その後、紙芝居師のオーディションを経てプロの紙芝居師に。ショッピングセンターやイベント会場など、さまざまな場所で紙芝居を披露する。
現在は、一般社団法人 社会の窓社で代表理事を務め、紙芝居師の育成やサポート、紙芝居を通じての社会貢献、子どもたちの発想力を引き出す活動なども行っている。
「基本的に、世の中の人たちは紙芝居に興味がない」と話す岩橋さん。大人は「紙芝居は子どもが見るもの」と思っていて、子どもも小学校高学年くらいになると「そんな子どもが見るのものは見ない」という考えになるという。そこをいかに引き込んでいくかがポイントで、岩橋さんはすべてオリジナルの紙芝居で勝負している。
その作品は多種多様。一見すると桃太郎だが、じつは違う主人公が活躍する『もりもりマッチョムキムキたろう』や、桃から“ももたろう”が出てきて、“ももたろう”から“もももたろう”が出てきて……と続いていく『ももももももたろう』も。さらには、ホラー系の『口裂け女 対 尻裂け男』など、ユニークな作品ばかりだ。
ほかにも、観客にセリフを担当してもらうもの、擬音語がメインのもの、裏面も使う紙芝居など、さまざまな工夫を凝らした作品が数多くあるという。いままでに作成したオリジナル紙芝居は400作を超える。
「紙芝居を通じて、ぜんぜん関係のなかった人たちがハッピーなおもろい空間と時間を共有できることが魅力」と、岩橋さん。
大阪・関西万博で、4月26日(土)と27日(日)に開催された『Japan Expo Paris in Osaka 2025』でも紙芝居を披露し、好評を博した。
過去には海外公演を行ったこともあり、岩橋さんは「外国人には言葉が通じなくても絵と動きとアイコンタクトで伝え、ハートトゥーハートで通じ合いました」と語った。
紙芝居のさらなる発展を望む岩橋さん。「今後、世の中における紙芝居のイメージや先入観を変えていきたいです」と展望を明かした。
※ラジオ関西「Clip木曜日」2025年5月22日放送回より
(取材・文=バンク北川 / 放送作家)





