ドラァグクイーンのサマンサ・アナンサとネオ昭和アーティストの阪田マリンが木曜日にパーソナリティーを務める番組『Clip』(ラジオ関西、月-木午後1時~)。昭和カルチャーが大好きな阪田マリンが、1950年代の情報を紹介した。
最初に紹介したのは、1951年にスタートした『NHK紅白歌合戦』。第1回が放送されたのは、いまのように大みそかではなく1月3日。さらに、ラジオのみでの放送だった。
この情報には、サマンサも思わず「へえ~!」と驚いた様子。放送時間は午後8時からの1時間だったため、出場歌手も紅白それぞれ7組だけ。マリンは、「これだけ人数が少なかったことにも驚きですよね」と紹介した。
第1回紅白のトップバッターとして登場した菅原都々子が歌ったのは『憧れの住む町』。同曲を聴いたマリンは、「音質がすごくレトロで、日本を活気づけようというポップで明るくなるような歌詞でした」と感想を述べた。
第3回まではラジオの正月番組として放送されたが、1953年2月にはテレビの本放送がスタート。そのため、第4回からはラジオとテレビ同時放送となった。これにより、従来のようなスタジオ放送ではなく劇場で行うことになったが、大きな劇場は正月公演で埋まっていて確保できなかった。
「そこで、たまたま大みそかが空いていた日本劇場を借りることになり、それ以降の紅白は大みそか開催になったそうです」とマリンが紹介すると、サマンサは「なるほどね~」と納得した様子で大きくうなずいていた。
続いて紹介したのは、1958年に日本で初めて導入された“バイキング”。当時の帝国ホテル社長がデンマークを訪れた際、そこで見かけた“好きなものを好きなだけ食べる”という料理スタイルに注目し、日本初のブュッフェレストラン「インペリアルバイキング」が誕生した。
「ホテルでも朝食バイキング券がついていることがありますけど、この方のおかげでバイキングを楽しめているんですね」と、マリン。
バイキングが好きかどうかを尋ねられたサマンサは、「そんなにモリモリと食べないです」と返答。「今度一緒にバイキングに行きましょう」と誘うマリンに対し、「前にご飯に行ったときにもおごらされたけど、また私がおごらされるので嫌です」と冗談めかしつつ断っていた。
最後に紹介したのは、1959年にスタートした『日本レコード大賞』。日本作曲家協会初代会長・古賀政男らがアメリカの『グラミー賞』を見学し、帰国後に開始した。
サマンサは、「当時は、いまほど音楽のジャンル分けがなかったから、どういう曲が売れ筋なのかが明確。いまみたいに毎日のように曲が配信される時代と違ってレコード自体の分母も少なかったので、そもそもレコード1枚出すのも大変だったのでは」とコメントを残した。
第1回日本レコード大賞の大賞受賞曲である水原弘『黒い花びら』について、マリンは「しっとりと甘い響きでした」と表現した。
(文=バンク北川 / 放送作家)
※ラジオ関西『Clip木曜日』2025年8月28日放送回より





