日本の国際的バレリーナの草分けで、70年以上の舞踊歴を持つ森下洋子。森下が主演する松山バレエ団「くるみ割り人形」公演が11月15日(土)、フェスティバルホール(大阪市北区)で開かれる。開催を前に、森下が作品に込めた思いなどについて話した。
バレエ団(東京都港区)の「くるみ割り人形」は1982年に初めて上演され、今年で44年目。初演以来、森下は毎年、主人公の少女クララを務めている。可憐な容姿と繊細な表現で「はまり役」と言われるクララについて、「こんなに長く踊らせてもらって幸せ」とほほ笑み、「今年も新鮮な気持ちで臨みたい。役を通して自分自身の魂を磨きたい」と意気込む。

演出を手掛ける清水哲太郎・同バレエ団総代表は、その時の社会情勢などに応じて、作品の内容を少しずつ変えてきた。2011年の東日本大震災後には、第1幕のパーティーの場面で、失った大切な人を思って手作りした人形を持ち寄る新演出を展開。絶望から立ち上がり、希望へと目を向ける人々を描き出した。「楽しいだけのパーティーではない。別れざるを得なかった人々への深い思いを持ちつつ、助け合い、勇気を持って前に進んでいこうという決意が込められたシーン。別れを通して成長していくクララの姿を見てほしい」(森下)。
森下自身もさまざまな別れを経験してきた。特に心に残るのは、20世紀バレエ界を代表するアーティスト、ルドルフ・ヌレエフ(1938~1993年)との別れ。1977年、森下は、エリザベス女王即位25周年記念公演でヌレエフの相手役に抜擢された。1983年には「白鳥の湖」「ジゼル」で共演、ヌレエフとのカップリングで森下は世界的な評価を獲得。200回近く一緒に舞台に立ち、その中で身体の使い方や美しいステップなど多くの手ほどきを受けた。
ヌレエフの死を知ったのは、千葉県での公演中だったという。公演後、夜の航空便で急ぎフランスに飛んだ。葬儀が行われたのはパリ・オペラ座。花がたくさん飾られたロビーに6人の男性舞踊手によって棺が運び込まれる様子を見守った。会場には世界中のアーティストが集まっていた。「オペラ座の舞台を正面から眺めたのはその時が初めてでした」(森下)。墓に花を手向ける段では、「ヨーコ、お先にどうぞ」と、最初の順番を任されたという。「ヌレエフからもらったたくさんの愛情と教えを大切にして、今も舞台に立っています」と亡き人との絆をかみしめる。「バレエを通じて宝物のような素晴らしい出会いと学びをたくさんいただいた。ヌレエフだけでなく、多くの先人の方々から受け取った愛に感謝し、バレエを通じて、少しでも皆様に喜びや幸せを届けてご恩返しできたら」。

大阪公演には、兵庫、大阪、京都でバレエを学ぶ生徒も出演する。「子どもたちの勢いはすごい。踊ることがうれしくて仕方ないという気持ちが爆発的にあふれている。いつも励まされています」と目を細める。子どもたちも含め、総勢約100人がにぎやかなステージを展開する。





