昭和歌謡、昭和ポップスにスポットライトを当てたラジオ番組『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』(ラジオ関西)が、2月13日放送回で、日本におけるバレンタインの歴史を紹介。日本におけるチョコレート交換やバレンタイン・ソングの発祥について、番組パーソナリティーの中将タカノリさん(シンガーソングライター・音楽評論家)と橋本菜津美さん(シンガーソングライター・インフルエンサー)が語り合いました。

番組内では、まず、中将さんがバレンタインについて解説。
欧米ではキリスト教の祝日で、親しい人同士でメッセージカードやプレゼント全般を交換する日と言われている、2月14日のバレンタインデー。
日本では、女性から男性にチョコレートをプレゼントする日、と独自の発展を遂げており、この文化の発祥をたどると、神戸のモロゾフ製菓に行き着きます。アメリカ人の友人から「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする」と聞いた創業者が、その習慣を日本に広めようと、1932年にバレンタインチョコのカタログを発行したのが始まりとされています。
ですが、この時代、結果的にバレンタインデーは大きな広がりを見せず、ようやく世間でそのイメージが醸成されはじめるのは1960年前後になってのこと。
2月の売上低迷に悩んでいた大手製菓メーカーや百貨店が「バレンタインデーにはプレゼントを」、「バレンタインデーのプレゼントにチョコレートを添えて」と打ち出したのが浸透。いつしか簡略化されて「バレンタインデー=チョコレート」となったようです。
さらに、もう少し時間を重ねると、歌謡曲やポップスシーンでもバレンタイン・ソングが歌われるようになっていきます。
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そんなバレンタイン・ソング特集となった、今回のオンエア。中将さんの調査によると、日本初のバレンタイン・ソングは山下達郎さんが歌ったCMソング『不二家 ハートチョコレート '76(バレンタイン編)』(1976年)だといいます。
ハートチョコレートのCM自体は1974年に始まっており、そもそもはバレンタインとは関係なく女の子が意中の男の子にハートチョコレートをあげるというムービーだったのですが、1976年にバレンタイン編が生まれたことで、初めてバレンタインとチョコレートと音楽が結びついたのだということです。
以後、少しずつバレンタイン・ソングを歌う歌手が増えていきます。
次に紹介されたのは、いしだあゆみさんの『バレンタイン・デー』(1977年)。細野晴臣さんさんらティン・パン・アレーや矢野顕子さん、山下達郎さんがレコーディングに参加し、名盤と言われるアルバム『アワー・コネクション』の一曲です。
歌詞にチョコレートは出てこず「可愛い娘から 贈り物もない 淋しい男なら 私の所へ どうぞ遊びにおいで 今夜だけ抱いてあげるわ」……すでに本格女優、歌手としての道を歩み始めていた、いしださん。「歌詞の内容も大人」(中将さん)。
3曲目は、大滝詠一さんの『Blue Valentine’s Day』(1977年)。バレンタインをテーマにした失恋ソングです。
「ハートのチョコ 君に送る相手がいたら」というフレーズに、中将さんは「交流の深かった大滝さんだけに、山下さんがCMソングを歌ったハートチョコレートを意識しているのでは」とコメント。
後に、山下さんと結婚する竹内まりやさんも、この時期、バレンタイン・ソングを歌っています。4曲目は『涙のワンサイデッド・ラブ』(1979年)。チョコレートを贈ろうとしたら相手にはすでに恋人が…という失恋ソングです。
セカンドアルバム『UNIVERSITY STREET』収録曲で、編曲は山下さんが担当。山下さんやその周辺の人々が日本のバレンタイン・ソングに与えた影響は極めて大きいようです。


