阪神・淡路大震災から25年を迎えるにあたり、西宮ストークスの選手らが17日午後、西宮市犠牲者追悼之碑(西宮市奥畑)を訪問した。
マティアス・フィッシャーHCをはじめ、全ての選手とチームスタッフが出席した。西宮で過ごしていることに感謝し、震災で犠牲になった人々が過ごせなかった日々を一生懸命に生きることを誓い、追悼の意を示した。
西宮ストークスには、震災後に生まれた選手が4人所属している(全11選手)。その中で、西宮市出身の土屋アリスター時生選手(1995年12月31日生)は次のように話した。
――土屋選手にとって震災はどういった存在で、どのように学んできましたか?
土屋アリスター時生(以下、土屋) 阪神・淡路大震災が起きたとき、自分は生まれていないし親もイギリスにいたので、初めは、震災というものは身近ではありませんでした。中学校の卒業式の時に東日本大震災があり、震災というものを意識するようになりました。選手会の代表として岩手の被災地を訪れた際、まだまだ建物が少ない景色を見て、自分が住んでいる西宮や神戸の辺りもこれに近い状態にあったのだということを思い知りましたね。
――今日、ここを訪れて感じたことは。
土屋 はっきりと、多くの名前が刻まれた慰霊碑を見て、いま自分が当たり前に住んでいるこの地で、たくさんの命が奪われたんだと改めて感じることができました。いま歩いている道路や目に映る建物がそこにあるのは当たり前のことではないのだなと。日々を生きていると忘れそうになりますが、毎年こうやって思い出すことが大切だと感じています。
――今後の人生や、バスケットボールにどう生かしましょうか。
土屋 いま自分が生きていて、バスケットボールができるというのも当たり前ではありません。毎日を大切に生きて、ファンの方にその一瞬一瞬を楽しんでもらえるようにベストを尽くします。