【インタビュー全文】震災発生時にラジオ関西から第一声をあげた藤原正美さん「言葉の大切さを、これからも伝えていかなければいけない」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

【インタビュー全文】震災発生時にラジオ関西から第一声をあげた藤原正美さん「言葉の大切さを、これからも伝えていかなければいけない」

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 阪神・淡路大震災からちょうど25年の17日早朝、ラジオ関西の震災特別番組で、被災し全壊となった神戸市須磨区の旧ラジオ関西跡地付近から生中継レポートが行われた。震災当時、ラジオ関西(当時、AM神戸)から第一声をあげたフリーアナウンサーの藤原正美さんが出演し、当時の様子を克明に伝えた。そのときのインタビューコメントは下記のとおり。(聞き手は、ラジオ関西の津田明日香アナウンサー)

藤原正美さんと津田明日香アナ
藤原正美さん(写真右)とラジオ関西の津田明日香アナウンサー(写真:ラジオ関西)

――当時の朝のことは覚えていますか?

藤原 とてもよく覚えていますし、1月17日が来ると、毎年そのときのことがよみがえります。夜明け前の空には、ちょうど満月がありました。家を出て、歩いてラジオ関西の社屋に向かいました。本当に空気が澄んでいて、きれいなお空だなと思っていました。本当は5時30分に入るべきところを、少し遅れて35分にラジオ関西の社屋に入り、そのあとの『ま~るい地球と……谷五郎モーニング』の準備をしているところで地震が起こったんです。

当時のラジオ関西タイムテーブルより
当時のラジオ関西タイムテーブルより(資料:ラジオ関西)

――地震が起こったとき、その様子をじっと見ていたとのことですが

藤原 そうみたいですね、ちょうど地震が起こった5時46分、大きな揺れのときも、みんな普段から訓練しているというのはこんなに大事なことなんだと思うくらい、「地震のときには机の下に隠れましょう」と小学校の頃から教えられていましたから、みんな机の下にもぐったんですが、私は腰が抜けていたのか、しゃがむ力もなかったのか、ずっと立って、仁王立ちになって見届けるという状況でした。

――偶然にも6時の時報のあと、第一声「しゃべりましょうか……」から、震災発生後の生放送が再開しました。

藤原 地震の揺れが収まったとき、気が付くと、ラジオ関西の壁が全部落ちていたので、土ぼこりのなかに立っていまして、よくみると、天井から水がこぼれ落ちていまして、ここはどこにいるのかなという状態。スタジオを見ても、「これはつぶれたな、放送できる状態ではない」と、いったんはみんな外に避難したんです。避難して道路に出ていたんですが、そのときに余震が起こり、その地震で道路が波を打つんです。もう立っていられないくらい。道路のなかに蛇がいるんじゃないかと思うくらい、揺れ、余震があり、ちょうど93年に北海道南西沖地震、奥尻島で大きな津波があった大地震がありましたが、ここ(須磨)は海沿いだというのを思い出して、もしかしたら津波が来るかもしれないと。周りが真っ暗な状況で、これはテレビは映らなくなっただろう、ラジオしかもしかしたら頼れるものがないんじゃないか、戻ろうということで、津波の怖さを感じつつ、ラジオという仕事への思いで戻っていきました。

ですが、スタジオに入って、様子をみても、これはとてもとても放送できる状態ではないと思ったんです。それでも、当時のディレクターを務めていた丸山さんという方が、一生懸命、なんとかつなげてオンエアできるようにとされていたので、スタジオの中に入り、もう無理だなと思いつつ、「しゃべりましょうか、テストしましょうか」という形でしゃべったのが、(オンエアに)つながっていたという、奇跡みたいなことが起こったんです。つながっているよということで(放送を再開した)。谷五郎さんは、外でケガをされていた方や避難し遅れていた方を助けていたんですが、戻ってこられて放送が始まった。当日はそんな感じでした。

――当時は、非常に焦り、錯乱するなかでの放送だったのでは?

藤原 そうですね。一応、地震の時にはこんなふうに放送しようというのを、マニュアルで読んでいたんですが、目で読んでいるだけではだめですね。口で読んで、口に覚えさせないと、いざというときには言葉にならないということを学びました。

――その後、外に取材に出たり、レポートに行ったりしたか、つらい情報も多々あったと思います。そんな状況のなかで感じたことは?

藤原 何かを感じるというのは、まだそのときにはそんな心の状態ではないというのを、後から思いました。ただ見たものを伝える(のみ)。何が起こっているのか自分のなかで消化することさえできなかったので。目の前にあるものを言葉にして伝える、そのことに必死でした。でも、想像していた以上のことが起こっていたので、それを言葉にするというのは、そこで初めて怖いな、恐怖というのを感じました。

阪神・淡路大震災直後の旧ラジオ関西(当時、AM神戸)社屋の様子と、ラジオカー取材の様子(写真:ラジオ関西)
阪神・淡路大震災直後の旧ラジオ関西(当時、AM神戸)社屋の様子と、ラジオカー取材の様子(写真:ラジオ関西)

――ただ、リスナーの方にとっては、ラジオから谷五郎さん、そして、藤原さんの声が聴こえて、安心できたところもあったと思われますが。

藤原 それはどうだったかはわからないです。ただ、安否情報というものが数時間後に始まったのですが、そのとき、「●●の〇〇さんは元気です」、「△△の▲▲さんは◇◇にいます」などという情報がリスナーの皆さんから電話を通じて届けられたのです。電話というのは、ラジオ関西は電話リクエストという番組を初めてした局だったので、リスナーさんからのお電話をいただく設備がきっちりと揃っていたんです。全部が全部ではなかったのですが、そのなかの何台か(の電話)が生き残っていたことで、安否情報、リスナーさんからの情報を放送し続けられた(要因になった)。その情報を放送し始めたとき、すぐに「私は元気です」などという声が返ってきて、皆さんラジオを聴いてくださっていたんだなというのを、リスナーさんからの声で改めて気づきました。

家の電話が使えず、公衆電話しか使えなかったとき、公衆電話の上のところにラジオ関西、当時はAM神戸と呼んでいましたが、その電話番号をどなたかが10円玉か何かで削って書いてくださっていた。公衆電話の赤い部分にその番号が記されているのを見て、本当に涙が出ました。お役に立てていたかはわからないのですが、少しはお役に立てたのかなと、「リスナーさん、ありがとう!」という気持ちになり、涙がいっぱい出ました。

そのときはじめて、ラジオはみんなと、今とつながっている。どんなことが起こってもつながるんだという思いを実感しました。聴いてくださった方、お電話をくださった方、安否情報だけでなく、炊き出しの情報、水道が壊れているなかでも「ここのお水は使えますよ」とか、「飲めないけどおトイレ流せますよ」とか、そういうような情報をいただけたということは、本当に今も、ラジオを聴いてくださった皆さん、お電話をくださった皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。私たちは何もできなかったんじゃないかなと思うことのほうが多かったので……。

――この25年の間、震災に関する取材を受けることも多かったと思われますが、数年たってから思い出すのがつらくなってきたと仰っていましたが……。

藤原 震災当時の数年間は、同じつらい経験をしたというのが心の支えになっていくんです。でも、そこから5年経ち、また何年か過ぎていくと、どうしても生活のなかに『格差』が見えてくるんです。そして、その格差のなかで、「自分は置いてきぼりになっているんじゃないか」と思うことが多くなってきて、それが不安とつながっていくんです。25年が経ちましたが、今も、「置いてきぼりになっているんじゃないか」とか、「今はそんな震災のこととか言わないほうがいいんじゃないか」ということ(思い)と戦っている人たちというのは、まだまだこれからも続くし、いらっしゃると思うんです。そういう心のケアというのは、月日が何年(要する)ことではなく、ずっと続いていくんだろうなというのは、私は今も感じます。

――そういう方たちに、ラジオがどう寄り添えると思いますか。

藤原 それは難しいことかもしれません。でも、ラジオというのは、語り掛け、1対1のコミュニケーションができる世界だと、私は信じています。ですから、『言葉』というものがすごく難しいということも考えながら、そういう方たちの『心』もちゃんと受け取っていくべきなのかなと。例えば、阪神・淡路大震災のときは、「がんばってください」といろんな方から言われたのですが、言われても、「これ以上、どうがんばればいいんだろう……」という思いとの戦いになってしまっていた。だから、その言葉が、「がんばって」よりも「がんばろう」という言葉に生まれ変わってきた。その「がんばろう」という言葉が広がり、それが心の支えになったという方も多かったと思うのです。同じ意味でも、全然違うという、そういう言葉の大切さというのを、これからも伝えていかなければいけないと思いますし、普段からそういうことを考えていかなければいけないと思います。



津田明日香アナウンサー
インタビューを行っての感想レポート


私も昨年と今年、1月17日の報道に携わってきました。そして、たくさんの情報に触れ、たくさんの人に話を聞いて、時には感情がぐちゃぐちゃになるような思いにもなり、(震災を)経験していない私がどう伝えるべきか、どう携わるべきか、たくさん考えました。そして、まだ答えには至っていません。ですが、藤原正美さんの話をお聞きして、ラジオにできること、そして、25年前に生まれた私だからこそ伝えていけることがあると信じています。そして、次に来るかもしれない震災に向けて、今、何ができるか、生きるための情報をこれからも伝え続けていきたいと思います。

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「阪神淡路大震災1.17のつどい」中継 | ラジオ関西 | 2020/01/17/金 05:30-06:00

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