永田耕衣は、「俳人であるまえにひとりの人間である」ということを大切にしていました。彼はもともとサラリーマンで、高砂の製紙工場で働いていたんです。夜勤もあるような忙しい日々でしたが、作品を作り続けて本格的に活躍したのは55歳の定年を過ぎた後だったそうなんです。
退職した後は、神戸市須磨区へ移り自宅を「田荷軒(でんかけん)」と名づけました。多くの芸術家が訪れたそうですが、その生活が一変する出来事が起こりました。1995(平成7)年の阪神・淡路大震災です。永田耕衣は須磨の自宅で被災、当時95歳でした。幸い2階のトイレにいたため、ケガもなく救出されたそうですが、自宅は全壊しました。貴重な作品や、骨董品、書籍などもすべてがれきに埋もれてしまったそうです。
震災当時、交通が寸断されたなか、明石や姫路にいたお弟子さんたちがリュックを背負って須磨へ通われ、およそ3か月かけて瓦礫の中から作品を掘り起こしたそうです。
救出された資料は、5000点ほどもあったようですが、そのほとんどは姫路文学館に寄贈され、現在も保存されています。企画展の担当者は「震災前に、仕事で耕衣先生のお家を訪ね、その独特な空間に魅了されました。ですから震災であのお宅が失われたと聞いたときは、ショックを受けました。そういった経緯があり、資料の寄贈を記念して平成8年に開催した第1回目の特別展を担当しました」と話しています。
震災について詠んだ句があります。
「枯草や 住居無くんば 命熱し」
震災から2か月を経た3月10日に生まれた句です。未曾有の天災を経験して、かけがえのない「田荷軒」という自宅をなくしてもなお、「命が燃え上がるようだ」と「命熱し」と詠みました。このことは多くの人に感動を与えました。その後も作品を作り続け、97歳でその生涯を閉じました。
辞世の句は、
「枯れ草の 大孤独居士 ここに居る」
こちらは、特別展示室に直筆の色紙も展示されています。阪神・淡路大震災から25年の今だからこそ、俳人・永田耕衣の「まなざし」に触れていただきたいです。
※ラジオ関西『時間です!林編集長』2020年1月30日放送回より
◇生誕120年記念 俳人・永田耕衣展
日時 2020年1月11日(土)~4月5日(日)10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週月曜日、2月12日(水)、2月25日(火)※ただし1月13日、2月24日は開館
会場 姫路文学館 北館(姫路市山野井町84番地、電話079-293-8228)
観覧料 一般310円、大学・高校生210円、中学・小学生100円(常設展料金)※20名以上の団体は2割引