友人の女性が令和改元と同時に伊丹市内でバルーンショップを開店。今年、思い立ったのが、青空にたくさんのバルーンを飛ばすこと。
しかし、折しも新型コロナウイルスの感染拡大で、世間全体が自粛ムードに。福知山線事故の追悼行事や関連する催しはほとんどが取りやめになった。バルーンは本来、4月12日に予定されていた「脱線事故メモリアルウォーク」で飛ばす計画を立てていた。
増田さんに思いを聞いた。
「事故から15年の節目、新型コロナウイルスの影響でほとんどの催しが中止なのが心苦しくて、ささやかながら黙祷を捧げたかったんです。バルーンは天国にいる方々に届かせたかった、という思いです。私はもともと、脱線事故の慰霊施設『祈りの杜』については亡くなられた方々が苦しんだ場所と思っていて、安らかに眠る場所ではないと思っています。ここに執着するべきではないと。逆にご遺族の皆さん、私のようにけがをされた方々がご自宅でそれぞれの思いで慰霊の場を持つのは素敵なことです。事故から15年。これまで必死に生きてきました。20年経っても同じ思いで生きていると思います」
伊丹駅近くの猪名川河川敷では、大小の風船が空いっぱいに広がり、追悼の思いを天国に捧げた。建て前や形式ではない。それぞれが思いを胸に迎えた15年目の「4.25」となった。